大正時代までの蒸気機関車は、基本的に数字4桁で形式番号が与えられていました。「キューロク」の愛称をもつ9600形や、「ハチロク」の愛称をもつ8620形などです。数字4桁で番号を与えるのは、21世紀の今日でも多く見られており、私鉄の電車なども同様です。
しかし9600形や8620形は数百両も製造されたので、番号付与が通好みというか、一般に分かり難くなってしまっていました。9600形であれば、1号機は9600ですが、100号機が9699となり、101号機は96100ではなく19600になります。もっと理解しがたいのが8620形で、1号機は8620ですが、80号機が8699となり、81号機が18620となったようです。万の位で数字が増えていくのは、まだ理解できるとして、なぜ9600形は100両で桁上がりをするのに、なぜ8620形は80両なんでしょうか?それは8620形が「8600形」と命名されなかったからで、ではなぜ「8600形」と命名されなかったのかと言えば、その時既に8600形が存在しており、余っていた番号が「8620」だったからのようです。
こうなってくると番号体系は破綻しているとしか言えないので、C62やD51などでお馴染みの体系に変更されました。ここで気になるのが過渡期だったC51形で、旧称は18900形でした。
「18900」というのを見ると、9600形の例にならうと「8900形の101号機」とも解釈できます。現実に8900形は存在していたのですが、36両しか存在しなかったようなので、8935まででした。18900形は8900形の後継機として位置づけられていたので「18900形」となったようですが、後継機云々はともかく、「8940形」などでも構わなかった気がします。
18900形は289両あるので、例の「桁上がり問題」が生じます。18900形の100号機が18999ですが、101号機は118900ではなく28900となったようです。これは番号体系の破綻以外の何者でもないとおもいます。これではやっていけないと思ったのでしょう。28900は「C51 101」と一目瞭然の体系に変更されました。