2024-02-03

鉄道における構内踏切と跨線橋の歴史

近年の鉄道駅は橋上化が進んでいるので、純粋な跨線橋は少なくなっているのではないかと思います。国内最古の跨線橋が2021年に姿を消したそうです(「国内最古の跨線橋、5日に110年の歴史に幕 愛知・JR半田駅」)。これは現存していた跨線橋としては国内最古なのかもしれませんが、日本の鉄道史上で最古ではないでしょう。そもそも日本の鉄道の歴史において、跨線橋が初めて登場したのは、何時頃で、何処だったのでしょうか。

 

新橋横浜間に鉄道が開業した時に跨線橋があったとは思えません。もちろん作ることは、技術的には可能だったと思います。しかし乗客の安全上として跨線橋が必要な状況だったとは考えにくいところです。むしろ鉄道開業当初であったとしても、構内踏切は存在していたかもしれません。今日において構内踏切は珍しくなってきてはいますが、地方私鉄やローカル線などで、今でも使われています。2024年年始にJR八戸線の久慈駅に行ったら、存在していました。

 

跨線橋に比べると構内踏切は、構造が簡単ですし、新橋横浜間の鉄道開業当初もしくはごく初期において、何処か駅に作られていたとしても不思議はないと考えられます。


跨線橋や構内踏切が、日本の鉄道史上で何時頃から存在していたのか調べるには、どうすればよいのでしょうか。Webで検索してみると「明治期における鉄道跨線橋の 沿革に関する研究」(三浦彩子・小野田滋、日本建築学会技術報告集、第15巻、第30号、pp577-580、2009年)という論文が見つかりました。この中に掲載されている情報では、明治15年に品川駅や川崎駅に跨線橋が存在したようです。ここから調べていけば、いろいろと分かりそうな気がしてきました。

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