2020/01/23

「パリスの審判」のパリスと「巴里」のパリ

日本で通用される外来語は、(統一しようという意志はあるかもしれませんが)何かの法則に従って翻訳される訳ではないので、いろいろと不統一です。日本人としては当たり前すぎて疑問を感じない事が多いのですが、日本語を学ぼうとしている外国人には、その不規則性で悩んでしまうこともあるようです。

例えば「パリスの審判」というギリシャ神話の中にある有名な物語があります。いろいろな作品がありますが、ルーベンスの作品が著名です。原題はオランダ語で「Het oordeel van Paris」だそうです。

ところでフランスの首都である「パリ」は綴りが「Paris」です。外国の発音の中には「パリス」となるものもあるようですが、日本では「パリ」です。

「パリスの審判」は「パリス」で、「巴里」は「パリ」なのは、それなりに理由があるのでしょうけれども、混乱するところだと思います。綴りは双方とも「Paris」なのですから。

以前、日本語を学んだ外国の方が「Hong Kongはホンコンなのに、King Kongはキングコングなのは何故か。ホングコングでは無い理由は何か」と問われたことがあります。日本語(に限らず言語というものは)はそういうものだからという以上の理由はないと思います。仕方ないことだとは思いますが、こういう事があるというのは知っておきたいと思います。

2020/01/16

Typhoon Faxai and Typhoon Hagibis

2019年11月24日号のThe Japan Times on Sundayの記事「Big in Japan by Mark Schreiber」のタイトルは「As infrastructure crumbles, who's footing the bill?」でした。この新聞は全て英語で書かれていますので、日本語で書かれた新聞記事を読む時とは異なる習慣があります。

2019年に上陸した台風15号を記事では「Typhoon Faxai」と、同じく台風19号を「Typhoon Hagibis」と表記されています。同じ台風のことを、日本の新聞では番号で識別し、英字新聞では名称で識別するので、その対応を理解していないと混乱します。少なくとも日本の新聞やテレビなどの報道機関では台風を名称で表現することはないので、いきなり「Typhoon Faxai」と書かれていても、それが「台風15号」の事だと直ちに了解できるわけではありません。

台風に名称がついている理由は、気象庁のWebサイト「台風の番号の付け方と命名の方法」で説明されています。

しかし日本国内の報道機関は、台風の番号表記と名称表記の説明をしていません。大袈裟に言えば、日英で情報の分断が生じています。ニュースや天気予報で、毎回わざわざ番号と名称の対応を説明するのは煩雑にすぎると思いますが、テレビに映る台風進路図の何処かに台風の名称表記を入れておけば、情報が伝わるのではないかと思います。

2020/01/11

「IGRいわて銀河鉄道」の英語表記は「Iwate Galaxy Railway Co., Ltd.」?

国鉄時代に東北の大動脈だった東北本線は、東北新幹線の新青森延伸によって並行在来線として切り離され、岩手県側のIGRいわて銀河鉄道と青森県側の青い森鉄道に分離されてしまいました。新幹線開業で切り離される並行在来線は日本各地にありますし、地域性が豊かな名称が多いので、会社名自体には気を留めることはありませんでした。

しかしよく考えてみると「IGRいわて銀河鉄道」の「IGR」って何でしょう?おそらく「いわて銀河鉄道」の英語表記の頭文字であるだろうという事はすぐに想像できます。そうだとしても何故「IGR」がついているのでしょうか。

例えば「NHK」でおなじみの「日本放送協会」は英語表記は「Japan Broadcasting Corporation」です(Nippon Hoso Kyokaiではないようです)。だからと言って「JBC日本放送協会」とか呼んだりしないわけです。IGRいわて銀河鉄道のお隣の「青い森鉄道」だって、英語表記は「AOIMORI RAILWAY」ですが、「AR青い森鉄道」ではないわけです。

ウィキペディアの「IGRいわて銀河鉄道」には、次のように説明されています。
ところがいざ法人登記しようという段になって商号調査したところ、盛岡市内に「いわて銀河鉄道」という会社が既に法人登記されていることが判明したため、苦肉の策として「IGR」を頭に付けた。
岩手県は宮沢賢治の故郷ですし、『銀河鉄道の夜』との連想から、「いわて銀河鉄道」という名前が思いつくのは、自然な流れなのでしょう。

ところが日本語の「IGRいわて銀河鉄道株式会社」の英語表記は「Iwate Galaxy Railway Co., Ltd.」です。当然かもしれませんが「IGR Iwate Galaxy Railway Co., Ltd.」とはならないようです。英語表記に「IGR」とか付いていたら変だと思いますから、現行の英語表記で良いのです。だったら日本語に「IGR」が付いているのは、何か別の策がなかったのか思うところです。

2020/01/04

宿泊ホテルの無料Wi-Fi

旅先のホテルに宿泊すると、最近は無料Wi-Fiが提供されていることが多くなってきました。ありがたいことですが、利用するには、大雑把に2種類に分けられると思います。
  1. SSIDとパスフレーズを指定
  2. SSIDだけで済み、パスフレーズ不要

旅先にはdynabook SS SX/15Aを持参しています。これは、元々Windows Vistaが入っていましたが、サポート期限が切れたのでNetBSD/i386に入れ替えています。何分にも旧いマシンなので、いろいろとガタがきている感じです。

このマシンで無料Wi-Fiにつなぐと、うまくいく時とダメな時があります。
  1.  接続はできるが、すぐに切れてしまう。そうなるとマシンを再起動しないと、再接続できない
  2. そもそも繋がらない。スマホでは問題ないので、マシンの問題でしょうか
  3. まったく問題がない。途中で切断されることは、まったくない

うまくいかなかった時、それがマシン(dynabook)の問題なのか、環境(NetBSD)の問題なのか、提供側(ホテル)なのか、見極めるのが難しいです。せめて調査するための材料を集めたいところですが、どのログをみたら良いのか、よくわかりません。

2020/01/03

「グローバルな」人物に期待すること

インターネットが普及して世界は狭くなったとも考えられますが、まだまだ地球は広いとも言えるでしょう。歴史的に考えて移動するのに人力に頼るしかなかった時代から考えれば、日本から米国でも欧州でも翌日には到着してしまうことを思えば、地球は狭くなったと言えるかもしれません。しかしながら日々の生活で意識している範囲は、決して地球規模などではなく(ニュースやWebで世界中の情報を知ることができるとしても)、半径数キロメートル以下でしかないでしょう。

そのような社会に生きているとしても、巷には「グローバルな」人物と称される人(もしくは自認している人)が居ます。

さて「グローバルな」人物とは、いったいどのような人物でしょうか。どのようにイメージされているでしょうか。通俗的は、英語が話せて、一年に何度も海外に行っているような人ということになるかもしれません。このような行動は、確かに「グローバル」です。しかし、それだけなのでしょうか。

ここで「グローバルな」人物であることを自認している某が、「自分はグローバルに生きているから、どこでも暮らしていける」と語ったとしましょう。これはどういう意味でしょうか。その真意は本人にしかわかりませんが、その言葉を聞いた人が受け止める事は誰にでもできることです。

「どこででも暮らしていける」とは、具体性がありません。しかし具体的に言えば、いったい何処のことなのでしょうか。傍観者が期待するのは、本当に世界中の何処でもよいということではないでしょうか。なにしろ彼は「グローバルに生きている」人なのですから。日本であれば、都会(東京、しかも都心限定)じゃなきゃ嫌だということは無く、日本中のあらゆる場所(田舎でも構わない)ということを期待するところです。

「グローバルに生きている」人の中には、都会じゃなきゃ嫌だという人もいないわけではないようです。「どこでも暮らしていける」というのは、「嫌になったら、こんな土地は何時でも捨てられる。だって自分はグローバルに生きているんだから」という意味だったりする場合もあるようです。

今日の日本は衰退しつつあるという認識をもつ人びとが存在しているような話を聞いたことがあります。彼等にとっては、日本に見切りを付けて、海外に移り住むことを選択しているらしいです。彼らに言わせれば「だって自分はグローバルな人物だから」ということなのでしょう。どこにだって住むことができるというのが「グローバルな人物」ということなのでしょう。

どこで暮らしていても、不満を覚えることは必ずあります。その時に、その土地を捨てて別な土地に移るのは、考えてみれば簡単な話です。現代日本に生きる私達は、過去の時代のように土地に縛り付けられている訳ではありませんから、移動の自由があります。これは素晴らしいことです。

しかし過ぎたるは猶及ばざるが如しと言うように、嫌になったら移ればよいというのは、本当にそれで良いのかと思わざるを得ません。

ここで思いだすのが、Think Global, Act Localという言葉です。地に根を張った生き方をしていきたいと思います。