2021-06-23

如何取計候而宜敷哉

図書館で借りた「W・サマセット・モーム全集」(新潮社)で『人間の絆』を読んでいます。初版発行が昭和29年なので、使われている文字が旧字体ですし、全体的に文章が古い印象です。それだけであれば、その当時の書物は全てそうなるでしょう。


もっと驚いたのは、主人公フィリップが学校を退学したがって伯父や校長と対立する場面において、ケアリ氏が校長宛に出した手紙です。次のような文面として翻訳されています。

パーキンズ校長殿

迂生甥の件に就き、再度御心労を煩し、誠に恐縮に存上候共、何分當方両人と致候而も、本人の身上に関しては、誠に心痛罷在候次第、何卒御宥恕被下度願上候。(以下略)


なんと候文です。このような文体は時代劇でよく見かけますが、頻度は不明ですが、戦前までは使われることもあったようです。この訳書の出版が昭和29年という事は、翻訳していたのは昭和20年代中だったと思います。さらに訳者である中野好夫氏は明治36年生なので、候文を読み書きすることはできたのでしょう。


ケアリ氏がパーキンズ校長に手紙を出す場合に如何なる文体であれば失礼にならないかを考慮して、翻訳者が訳出した結果が候文であったのであれば、それが昭和30年前後の日本における社会常識を踏まえた判断であったのかと私は考えました。翻訳者が候文に通じているとしても、読者が候文を理解できなければ意味がありません。当時の常識では候文に違和感はなかったのでしょう。


『人間の絆』は、文庫本にもなっているし、新訳も出ているようです。上述した手紙は、どのように訳されているのか気になります。

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