親睦を深めるためなのか、単に飲み食いが好きなだけなのか、「今度飲みに行きましょう」と言い出す人がいます。言い方を変えて「今度飯食いに行きましょう」という場合もあります。このような発言の意図を問おうというのではなく、この発言から考えられる事を書き連ねてみたいと思います。
発言した当人と一緒に「食事」や「飲み」に行くとは限りませんが、誰でも食事はします。食事をせずに生きていける人はいないでしょう。「飲み」に行くというのは、暗黙的に「酒」を飲むということを意味していると思いますが、「飲みに行きましょう」と言っておいて、「珈琲」を飲むとか「お茶」を飲むということにはならないと思います。そうだったら、「珈琲でも飲みましょう」とか「お茶を飲みに行きましょう」とか言うでしょう。
会話の中で「今度○○しに行きましょう」という発言が出たら、その「○○」は、「誰でもすること」と一般に思われている事柄だと思います。もしかすると必ずしも「誰でもすること」ではない可能性もあります。「飲みに行きましょう」というのが、まさにそうです。しかしそこに「酒を」という含意があるとしても、「飲みに行きましょう」というのは、よく使われるフレーズには違いないでしょう。こう考えると、「○○」というのは、全員必ずする訳ではないが、大多数がする(と思われる)事柄なのかもしれません。
さて、「大多数がする(と思われる)事柄」ならば何でもよいかというと、そうでもなさそうです。例として適切なのかどうかわかりませんが、「ゴルフ」などはどうでしょうか。ゴルフを普段からするのがメジャーかどうかわかりませんが、一定数いることはまちがいありません。そこで「今度ゴルフに行きましょう」という発言が出たら、そこには前提として互いにゴルフ好きであることが確認されている必要があって、その上で発言しないと微妙な空気になってしまいます。
また別の例を考えますが、「パチンコ」などはどうでしょうか。昔々に比べると「パチンコ」は流行らないのかもしれません。それでも、前提として互いにパチンコ好きであることが確認されているとしても、「今度パチンコに行きましょう」という発言にはならないような気がしますが、どうなのでしょうか。パチンコというものは、個人で勝手に遊ぶものであって、誰かと一緒にするものではないからでしょう。
またまた別の例を出しますが、「キャッチボール」ならどうでしょうか。前提として互いにキャッチボールは嫌いじゃないことが確認されていて、しかもキャッチボールは相手を必要とするわけですが、それでも「今度キャッチボールしましょう」という発言が出てくるかというと考えてしまいます。レアケースとして無いわけではないとも思いますが、営業現場のトークとして出てくるような発言ではないでしょう。
結局のところ「今度○○しに行きましょう」という「○○」には、なんでも入るわけではなく、よく入るものと、絶対入らないものがあって、そのバリエーションは文化慣習なのでしょう。日本では当たり前でも、当たり前ではない文化があるかもしれません。逆に日本では考えられないのに、それが当たり前の文化があるかもしれません。そういうことを考えてみるのも愉快ではあります。
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