オハ35形とかスハ43形のように旧型客車が呼ばれるようになったのは、ウィキペディア「国鉄客車の車両形式」によれば、1941年11月4日達639号に依るようです。ところが、1928年5月17日達第380号の車両称号規定の方が位置づけが高いようです。
国立国会図書館デジタルコレクションを探してみたら、次のような資料を見つけました。
- 「車両称号規定の改正について」、『車両と電気』、4(6)、pp.5-6。
- 「車両称号規定の改正について(2)」、『車両と電気』、4(7)、pp.12-13。
- 「車両称号規定改正案成る」、『車輛工学』、21(11)、pp.7-10。
- 「車両称号規定の改正 その1」、『車輛工学』、22(1)、pp.11-13。
- 「車両称号規定の改正 その2」、『車輛工学』、22(4)、pp.9-12。
ここで、1番の資料では、冒頭に次のような事が書かれています。そこにあるとおり、1941年改定は部分的な改定であるという認識です。
4月8日に総裁達第225号で車両称号規定が改正されたが、従来の車両称号規定は昭和3年5月に制定されたもので、すでに25年を経過しており、その間何回か部分的な改正を行って来たが、年々進歩している車両の現状に適応しない点が多々見られるようになった。
1953年改定でも1941年改定でも構わないのですが、その車両称号規定がどのようなものであったのか原文を参照したいと思います。と言っても、原本が見たい訳ではありません。鉄道省なのか国鉄なのか分かりませんが、資料集とか年報のような中に付録として全文が掲載されていれば有り難いところです。上述した4番と5番の資料には、改正案として全文が掲載されているようです。そこには以下のように書かれていますが、案であったとしても、とても役立ちます。
なお本文は改正案であって、本達には字句の表現等が多少変更されるかも知れないことをお断りしておく。
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