NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」の2020年4月10日放送では、お城の天守閣などにある鯱が話題になりました。そこでは「鯱は織田信長の安土城で初めて使用された」との説明がありました。
放送を視て「鯱」というものが「安土城」で初めて世間に現れたのかと思ったのですが、ウィキペディアにある「鯱」には「本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したことで普及したといわれている」と書かれています。つまり世間的には鯱が何かということは知られていたものの、屋根を飾るために使ったのは信長は初めてだったという事なのでしょう。信長死後に建てられた城でも鯱が使われ続けていくことになるようですが、そもそも鯱が(屋根を飾っていなかったとしても)世間で知られていたか否かは、大きな問題になるのではないかと思います。
鯱は信長が安土城天守の屋根を飾る前から、厨子等を飾っていたということです。したがって安土城が焼け落ちたとしても、その後に建てられた城において「鯱がどういうものなのかは常識としてわかっていた」ので、鯱が何かということで迷うことはなかったと思われます。
ところが鯱が信長の独創で、その姿は安土城以外で見ることができないとしたら、どうなっていたでしょうか。安土城は焼失してしまったのですから、鯱を自分の城の天守に飾ろうとしても、その姿は想像するしかないわけです。現代社会のように写真があるわけではないし、正確な図面が残っている訳でもないでしょう。簡単なスケッチ程度は残っていたかもしれませんが、それで信長の安土城と同じような鯱が再現できるかどうかは、難しいところだと思います。「鯱」といいつつ、似ても似つかない代物が出来上がる可能性が高いだろうと思います。
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