何時からなのか不明確ですが、「担保する」 という言葉が多用されていると感じています。同じ感覚を持つ人もいるようで、Webで次のような情報が見つかります。
1番目の情報は大阪教育大学の「学大国文」第45号(2002年)に掲載されたものを著者自身でHTMLにして公開しているものです。2番目の情報は2007年2月2日です。違和感がもたれるようになって、もう20年くらいになるようです。
「担保する」という言い方が21世紀になって登場した新語とは考えていません。法律関係では以前から使われていた言い方だという情報を得たことがあります。また「担保する」という言い方しか考えられないような状況で使われるなら、それは問題ではありません。
気になって仕方がないのは、他の言い方(例えば「保証する」など)があり、そちらの方が適切と思われるのに、なぜか「担保する」が使われる場合です。冒頭にあげた例を使うと、今日の流行にのれば「TCPは以下の方法で 信頼性を担保する。」と書かれるところでしょう。
手持ちの辞書『明鏡国語辞典 携帯版』(初版第3刷、2005年)では、次のようになっています。
- たん-ぽ【担保】〔名〕債務者が債務を履行しない場合、その債務を弁済を確保する手段として債権者にあらかじめ提供しておくもの。
- ほ-しょう【保証】〔名・他サ変〕(1)確かであると請け合うこと。
「担保する」という言い方が気になるのは、用語の厳選という意味での推敲が不十分ではないかと感じられるからです。「担保する」という言い方が何故にこれほど広まってきているのか分かりませんが、この言い方をすると「なんだかよくわからないけど、難しそうな言い方で、カッコ良さそう」と思われているのではないかと、邪推しています。文脈によっては、「保証する」とか「確保する」の方が適切かもしれないのに、なんでもかんでも安易に「担保する」で済ませてしまっているのではないかという、疑いを持ちます。
この問題は、いつの時代も世の中を騒がせている「日本語の誤用」とはまた違う問題ではないかと思います。「担保する」は不適切かもしれませんが、少なくとも「誤用」とまでは言えないと思います。問題は、いかなる経緯で「担保する」が広まってしまったのか、ということです。誰かが「『担保する』を使おう運動」の旗を振っているということでもないでしょうから、些細な事例ではありますが、社会の変化を考えるための重要な素材なのかもしれません。
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