the japan times alphaの2019年5月3日号に掲載されていた「3-minute Reading With Kip」(Kip Cates)のタイトルは「Family name problems: Fathers and sons」でした。アメリカの小説や映画などで、「生まれた子供に父親と同じ名前をつけた」というような描写がされることがあります。あまり深く考えずに流してしまうと、そういうものかと思ってしまいますが、よく考えると不思議です。この文章でも書かれているように「However, this caused all sorts of problems.」となる筈です。
まず第一に、アメリカではファーストネームが重視されますから、同じファーストネームを持つ人物が家庭の中に二人いれば、電話がかかってきて「(例えば)Bruce, please.」とか言われたら、「Which Bruce do you mean?」となるわけです。
もっとマズイのが「Even worse was when the postman delivered the mail.」です。郵便の場合には、聞き返すことができないので、「If it was a love letter from my brother's girlfriend and I gave it to my father, 」とかなると悲惨です。
日本人の名前にはありませんが、外国人の名前にはミドルネームを持っている場合があり、上述したような場合に役立つのかもしれません。ミドルネームでなくても、何か区別できる社会システムがきっとあるのでしょう。そうでなければ、危なくて、同じ名前をつける風習はとっくの昔に廃れているはずです。
日本人の名付けにおいて、父親と全く同じ名前を子供にもつけることは無いと思いますが、名前の漢字の一部を使うことは多いかもしれません。時代をさかのぼると、一族の結束を強めるために「通字」 もありました。近世の徳川家では「家」を使う諱が多いとか、源氏の血筋を引く武家では「義」を使うことが多いとかです。
名付け方にも時代の流行があり、今日では「~衛門」とか「~兵衛」という名前は、まずないでしょう(もし子供にそのような名前をつけたら、一生恨まれるのではないでしょうか)。 「輩行名」(一郎、二郎、三郎のような名前)も少なくなっているかもしれません。その代わりに増えつつあるとおもわれるのが、俗にいう「キラキラネーム」のように、音を重視して、(見た目を重視した)漢字をあてはめた、万葉仮名かと思うような名前です。それが多数派を形成しているとまでは考えていませんが、今後は多数派となる可能性があるとは思っています。
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