2016/07/28

UbuntuをVirtualBox上にインストール

Windows Vistaが入っているdynabookにFreeBSDを入れてデスクトップ環境として使おうと考えています。デスクトップ環境を構築する参考にするためVirtualBoxを利用してLubuntuとUbuntu-MATEをインストールしてみました。インストールの簡便さ、インストールの速さ、そしてインストール完了で環境が一通り出来上がっていることに驚きました。Linuxの他のディストリビューションはまた違うのかもしれませんが、FreeBSD・NetBSD・OpenBSDなどのテキストベースのインストーラとは全然違います。Microsoft Windowsから乗り換えようと考えている場合に閾は低いでしょう。

裏付けとなる情報を持っていないので感覚的な意見ですが、Linuxの全ディストリビューションのコミュニティを足した利用者数は、BSDの利用者よりも圧倒的に多いのでしょう。しかし個々のディストリビューションの利用者に限ってみれば、FreeBSDなどに比べて必ずしも多いわけでもないと思います。

しかもDebian系ディストリビューションといわれるUbuntuであっても、デスクトップ環境によりLubuntuとかUbuntu-MATEとか何種類にも細分化されています。その利用者や開発者は幾つかを掛け持ちしているのかもしれませんが、いろいろと手を出すにも限度があるでしょう。試しにインストールしてみたLubuntuとUbuntu-MATEであっても、単にデスクトップ環境が違うというだけではなく、初期インストールされるパッケージにも違いがあり、使用しているカーネルのバージョンも違いました。Linuxはディストリビューションが多いだけではなく、その中でさらに細分化されているようなので、それぞれ個々にみれば、開発や管理に携わるメンバは決して多くはないと思われます。

上述した仮説が妥当だとして、それにもかかわらず完成されたインストーラや環境が提供されている背景には何があるのか気になります。コミュニティの小ささによる小回りの良さがあるのかもしれません。なにか改良しようとした時に、技術的な検討を延々とするよりも、とりあえず何かを作ってしまうという傾向があるのかもしれません。

今でこそLinuxは非商用のUNIX系OSとして巨大な利用者がいますが、1990年代前半ごろはLinuxだってFreeBSDやNetBSDだって、同じくらいの規模の利用者しかいなかったと思います。それが結果として圧倒的な差が開いてしまったわけですが、そうなった理由はマーケティング的にもテクニカルにもいろいろ考えられるでしょう。ただLinuxの発展するスピード感というものは、1990年代にMicrosoft Windowsが、多くの批難を浴びながらも、圧倒的シェアを確保していった姿に通じるところがある気がします。

2016/07/20

tmuxからGNU screenへ

旧いノートPCにFreeBSD/i386を入れ、Windows10からはtera termで繋いでいます。LANケーブル廻りの問題なのか、それともノートPCが故障しかけているのか原因が絞り込めていませんが、時々tera termの応答が悪くなったり、または接続が切れてウィンドウが消えてしまうことが頻発します。操作中に突然画面が消えると、それまでの作業が失われてしまい、とてもストレスが溜まります。

こういう場合にはGNU screenを使うと良いらしいとは以前から耳にしていました。調べてみるとtmuxというものもあるようです。それぞれに特徴があるようですが、GNU screenよりもtmuxの方が良さそうなのでtmuxを入れて使用してきました。ネットワークが切れてもtmux上で動かしたプロセスであれば再開できるので、当初の目的は満足しています。

ところが最近FreeBSDのportsでtmux 2.2に更新したところ問題が発生しました。
furusawa% grep -B1 tmux /var/log/portmaster.log
Tue Jul 19 06:20:40 JST 2016
        Upgrade of tmux-2.1_1 to tmux-2.2
もともとtmuxの日本語の表示され方には怪しいところがありましたが、tmux 2.2では日本語が全部抜けてしまうようになりました。どうやらUTF-8で環境を整えれば良いらしいのですが、UTF-8では日本語が化けてしまいます。

FreeBSD/386 10.2-STABLEとtera term 4.90を使っていますがEUCなら問題ありません。
furusawa% locale
LANG=ja_JP.eucJP
LC_CTYPE="ja_JP.eucJP"
LC_COLLATE="ja_JP.eucJP"
LC_TIME="ja_JP.eucJP"
LC_NUMERIC="ja_JP.eucJP"
LC_MONETARY="ja_JP.eucJP"
LC_MESSAGES="ja_JP.eucJP"
LC_ALL=
furusawa% date
2016年 7月20日 水曜日 09時11分43秒 JST 
ところがUTF-8では日本語が出てきてくれません。
furusawa% locale
LANG=ja_JP.UTF-8
LC_CTYPE="ja_JP.UTF-8"
LC_COLLATE="ja_JP.UTF-8"
LC_TIME="ja_JP.UTF-8"
LC_NUMERIC="ja_JP.UTF-8"
LC_MONETARY="ja_JP.UTF-8"
LC_MESSAGES="ja_JP.UTF-8"
LC_ALL=
furusawa% date
2016? 7?20? ??? 09?12?41? JST
これはこれで問題ですが、直ちに解決できそうもないので、tmuxを使うのをやめてGNU screenに乗り換えることにしました。使用方法には違いがいろいろとありますが、仮想端末としての機能が満たされているので、今後はGNU screenを使っていこうと思います。

2016/07/15

本来の目的はdynabookをVistaからFreeBSDに移行するための事前調査のはずだった

USBメモリにOSを入れてdynabookで起動させるのが失敗しているため、闇雲に行動していると、本来の目的を見失い、目先の結果に振り回される結果に陥ってしまいます。ここは冷静に目的を再確認しておこうと思います。

そもそもの目的は、dynabook内蔵HDDのWindows VistaをFreeBSDに移行させるにあたり事前に影響を調査しておくことです。USBメモリに入れたOSがスッキリ起動してくれれば有り難いですが、どうも一筋縄ではいかないような印象です。USBメモリを使おうとする方針は、ひとまず棚上げしましょう。

dynabookの内蔵HDDに入っているWindows Vistaの環境を壊さないように調査をすすめるため、USB接続の外付けHDDを用意してみようと考えています。USBメモリに入れたOSからブートするのには失敗しましたが、BIOSメニューを見る限りでは外付けのUSB HDDから起動することは出来そうです。

またVirtualBox上の仮想PCでFreeBSDやLubuntuの環境を作っておこうとも考えています。仮想PCは実PCよりも性能が落ちるところがありますが、気軽に設定を変えて動作を確認することができるので参照目的としては使えるでしょう。しかしdynabookに実際に搭載されているハードウェア構成とは異なるので、仮想環境だけで全ての調査が済むわけではないと思っています。

USBメモリから起動しない

UNetbootinを使ってLubuntu 16.04_LiveをUSBメモリに書き込み、起動させようとしましたが、うまくいきませんでした。具体的には、まずUNetbootinのメニューが表示されたので、そのまま起動させようとしたところ、画面解像度が数回変わった直後に画面に何も表示されなくなり、そのまま反応がなくなりました。もしかすると、ものすごく処理が遅くて待っていればOSがあがってくるのかもしれませんが、それではとても使い物になりません。

またUNetbootinでFreeBSD 8.0をUSBメモリに書き込み起動させてみましたが、やはり駄目でした。こちらの場合は、まずUNetbootinのメニューが表示され、次にFreeBSDのブートメニューが出てきましたが、起動しようとした直後にレジスタダンプと「BTX halted」のメッセージが出て止まりました。

さらにUSBWriterをつかってFreeBSD-10.3-RELEASE-i386-mini-memstick.imgをUSBメモリに書き込み起動させてみましたが、やはり同様にレジスタダンプと「BTX halted」のメッセージが出て立ち上がりませんでした。

まさかこんなことで手間取るとは思っていませんでした。もっと簡単に起動できるとおもっていましたので、次にどういう手を打てば良いか悩みます。

2016/07/14

PC-BSDはamd64専用だった

Windows Vistaが入っているノートPCをBSD系OSに入れ換えようと考えており、PC-BSDを第一候補として考えていました。しかしPC-BSDは9.2以降ではamd64専用になっていました。

PC-BSD USERS HANDBOOKの「2.1.1 Minimum System Requirements」には次のように書かれています。「PC-BSD 9.1 USERS HANDBOOK」では「Pentium II or higer」となっていますが、「PC-BSD 9.2 USERS HANDBOOK」になると「64-bit processor」に変わっています。

ノートPCで使われているのは「Intel Core U1400」という32bitプロセッサなので、PC-BSDを使いたければ2012年12月18日リリースのPC-BSD9.1を選ぶことになり、最新のセキュリティ対策に追従できなくなります。したがってPC-BSDは選択肢から落ち、FreeBSDにデスクトップ環境を付け加えることになりそうです。

Linux系を常用とする気持ちはありませんが、FreeBSDでデスクトップ環境を構築する参考にしてみたいとは考えています。Linuxには選択に困るほどのディストリビューションがあるので迷ってしまいますが、Ubuntuを使ってみようかと思います。デスクトップ環境にLXDEを採用したLubuntuというものがあるそうです。NetBSDでもLXDEを使ってみたことがありますし、FreeBSDにもLXDEを使おうかと考えているので、これが良さそうです。また来月リリースされるというWindows10の機能追加ではUbuntuをベースとしたLinuxサブシステムが導入されるそうなので、Ubuntuに慣れておくといろいろと都合が良さそうです。

2016/07/13

Windows Vistaが入っているdynabookの今後

Windows Vistaが入っているdynabook SS SX/15Aがあるのですが、Microsoftの延長サポート期限が2018年4月11日までなので、そろそろ今後の方針を考えておかなければなりません。最も簡単な対処方法はこのPCを処分して新しいPCを買う事でしょうけど、次の理由があり踏み切れません。
  •  昔に比べるとPCの値段が下がっているとは言っても、持ち運びしやすいサブノート型は値段が高く、オプション等も考えると気軽に買い替えるには抵抗がある。
  • このdynabookは、CPUは旧いものの、メモリを4Gに増設してあり、また数年前にHDDも新品と交換しており、処分するには早い気がする。
  • 持ち運んで使用することがメインであり、それほど常用するわけでもないという利用形態を考えると、Windows10(でも他の商用OSでも)が入ったPCを購入するのは投資効果に見合っていない。
Windowsのサポートが切れた旧式PCを使い続けるにはLinuxやBSD系のOSに入れ換えるのが定番です。個人的な趣味によりLinuxは避けたいので、BSD系を選びたいと思っています。そうなると選択肢は次のようになります。
  1. FreeBSD/i386とデスクトップ環境
  2. NetBSD/i386とデスクトップ環境
  3. OpenBSD/i386とデスクトップ環境
  4. PC-BSD
NetBSDにデスクトップ環境を足して使ってみるのは既に実行中ですが、環境を整えるが結構大変だという印象です。それでもNetBSD環境構築の経験を積むことが目的なので構わないのですが、今度は出来れば環境を整えるのは「それほど」手間をかけずに済めば良いのを願っています。新しいものに手を出すので慣れるまではそれなりに手間暇がかかるのは仕方ないところですが、環境を安定させるための作業に負荷がかかりすぎるのは避けたいところです。そうなるとNetBSDは避けたいし、OpenBSDも同じような展開になりそうなので避けようと思います。結局FreeBSDにデスクトップ環境を自前で入れるか、最初からまとまっているPC-BSDにするかという選択になります。まずはPC-BSDを試してみようと思います。

安定して利用できることが期待されるのは次のような機能です。
  • 日本語入力
  • 出先で無線LAN接続
  • FirefoxによるWeb閲覧やTiddlyWikiの利用
  • Thunderbirdによるメール送信
  • PDF閲覧
  • LibreOfficeの使用

また若干問題があっても良いですが、使えるとありがたいのは次のような機能です。
  • Oracle VirtualBox
  • GIMP
  • QRef 
  • Inkscape
  • Sigil
  • Wireshark
  • YouTubeに相当するもの
  • iTunesに相当するもの
 これらの要望がPC-BSDで満たされているか確かめるには、実際にインストールしてみれば良いわけですが、そうすると既存のVistaが消えてしまいます。それは困るので、USBメモリに入れて起動できるか確かめてみようと思います。そうすれば現状の環境を壊さず、新しい環境の使い勝手を確かめることができるでしょう。

最近は32G程度のUSBメモリの値段が下がってきているようなので、入手してPC-BSDを入れてみようと思います。ただし転送速度が遅すぎるようなものもあるらしいので、注意したいと思いいます。

2016/07/10

「ミニマリスト」は何をminimizeするのだろうか

The Japan Times STの2016年7月8日号に「In space-tight Japan, how to live like a minimalist」という記事が掲載されています。「ミニマリスト」は持ち物が数えるほどしかなく、それは無駄を削ぎ落とす禅の教えに通じるところがあるとしています。その考え方の是非を他人が論じることはできないと思います。良し悪しを論じるのではなく、その言葉から受ける印象を記しておきたいと思います。

現代の日本にはモノが溢れており、生きていくために必要なモノはもっと少なくも構わないはずだ、という意味での「ミニマリスト」の考え方は共感できます。ただし少なければ少ないほど良く、究極的には何も持たないのがゴールだという意味であれば、それは極端だろうと感じます。

記事で紹介されている人は以前は書籍・CD・DVDなどのコレクターだったそうですが、それらは手放してしまい、今では友人から「取調室のようだ」と言われるような部屋に様変わりしているそうです。当人にすれば利点の多い生活なのでしょう。掃除が楽だと思いますし、地震や火事にあっても失うものが(そもそも)ありません。本が読みたければ図書館で、CDやDVDなどはレンタルショップで、おそらく調理器具なども無いと思われるので、食べ物などはコンビニなどで調達するのではないかと思います。

その一方で、記事に掲載されている写真からは髪の毛を短く整えているように窺えますが、顎鬚も整えているように見えます。髪の毛が長かろうと短かろうと、顎鬚があろうと無かろうと、それは個人的な嗜好ですから他人がとやかくいう事ではありません。僕が言いたいことは、何を手放し、何を残すのかは、個人的な価値観の現れだということです。

「ミニマリスト」ではない人達であっても、家の中にモノを溜め込むことに抵抗感を持つ人はたくさんいます。中長期的な生活まで見据えると「ミニマリスト」からすれば不要に見えるものが家のなかに置かれることになるかもしれません。しかし都会であればコンビニでもレンタルショップでも図書館なども時間を気にせず利用できるかもしれませんが、誰もがそのようなサービスを受けられる場所で暮らしているわけではありません。必要を感じた時に入手できないかもしれない可能性を考慮して、自宅にストックしておくという判断をしているはずです。

「ミニマリスト」の正反対の存在は、ゴミ屋敷とか汚部屋と呼ばれるように、溜め込む一方で全く廃棄しない生活です。そうなる要因はいろいろあって一概には言えないと思いますが、何かが必要となった瞬間に所有していない場合の不安に耐えられないこともあるでしょう。

個人の所有物を極限まで切り詰めるか、もしくは極限まで保持するか、または両者の間のどこかにおちつくか、人はそのどれかを選択して生きているはずです。どれが良い悪いということはないでしょう。どれが多い少ないということはあると思います(正規分布に従うでしょうから、中間の人数が最も多いはずです)。価値観によって決定されることですが、社会状況の影響も受けている筈です。

2016/07/04

「日本には四季がある」

2016年6月26日発行のThe Japan Times On Sundayにある「20 Questions」という記事に興味深い回答がありました。Simon and Martina StawskiというCanadianのVloggersが「10. You moved from South Korea to Japan a few months ago.  What's the biggest difference you've noticed between the two countries?」と問われた次に質問「11. Any similarities?」に対して、以下のように答えています。
Both countries seem proud of having "four seasons."  We still don't understand why it's a talking point because tons of countries have four seasons.  Maybe we're just too Canadian and we've been spoiled by our Canadian "four seasons."
日本の良さを示す決まり文句として「日本には四季があるから云々」と言いたがりますが、それがどう受け止められているのかを如実に示していると思います。どうやら四季があることを語りたがるのは日本だけではなかったようですし、(当然のことながら)四季があるのも日本だけではないようです。

今後も日本に四季があることを誇り続けるのではないかと思いますし、それでも別に構わないだろうと考えています。躍起になって否定しなければならないほどの事でもないでしょう。それでもその事がどう視られているのかを知っておくことは大切だと思います。

2016/07/03

「Here's an examole.」の和訳

The Japan Times STで連載されているコラム「ODDS & ENDS」(James Tschudy)を読んでいると、月々の話題の具体例を示すために「Here's an example.」 のような文がよく出てきます。これは日本語で意をくむと「例を示しましょう」ということでしょう。もっと直訳的に和訳して「例はこれです」とか「これが例です」でも、日本語として全く間違っているということはないと思います。

逆に日本語で「例を示しましょう」と言いたい場合、英語に堪能なら多くの言い方が思いつくのかもしれませんが、英訳として「Here's an example.」に辿りつきたいとします。学習者に対して「日本語を英単語に置き換えても、英文にはならない(かもしれない)」とか「英作文ではなく英借文をせよ」とアドバイスされることが多くあります。この場合なら、日本語で言いたい「例を示しましょう」から、「これが例です」という日本語に変換して、そこでおもむろに「Here's an example.」を導き出すというステップを踏むことが求められているのでしょうか。

日本語は助詞を駆使すれば語順は何とでもなる言語ですし、これに対して英語は語順が重要な言語です。先に示したように、日英対訳を経由した英借文手法を求めるのであれば、日本語で考えた自分の言いたいことを、如何にして日英対訳における日本語文に繋げるかという技術が必要になります。こういうことを常に意識していると、素早く英文が出てこないので、次第に英訳しやすい日本文が思いつくような脳に変化してくるのではないかと思います。

単純な和文英訳に限らす、日本語には日本語の、英語には英語の「発想方法」があり、言葉はその発想を表現しやすいように出来ているはずです。2012年4月6日号の(当時の)週刊STには「English across Cultures」という本名信行さんの連載があり、次のように語られています。
 一つ例を挙げましょう。ある会合に、出席する予定だった人が来ていなかったとします。後日、その人に尋ねるとき、日本人は「私はあの会合に行きましたが、あなたはどうしてこなかったのですか」と言います。これを英語にすると、"I went to the meeting.  Why didn't you come?" となります。ところが、ネイティブスピーカーは、こういう状況では、"I was there.  Where were you?" というような言い方をします。ネイティブスピーカーは動きではなく、存在としてとらえるのです。
英語を話すときには、英語らしい表現にしたいと思います。その方が相手に伝わりやすいと思うからです。日本語的な発想を英訳した文章でも、相手は理解してくれるでしょうけど、そのときに相手の頭の中は普段とは違う部分が全力で動いているはずです。これは逆の場合を考えてみれば納得できるでしょうか。例えば日本語を話せる英米人が、英語的な発想を日本語にした文章を話したとすると、日本語だから言っていることは聞き取れても、言いたいことを追いかけるのに疲れてしまうのではないでしょうか。

ここで述べたことを踏まえて英語を勉強すべしとは主張しませんが、意識の片隅には置いておきたい考え方だと思っています。

韓国語の敬称としての「-님」

小学館『朝鮮語辞典』(2001年9月10日初版11刷発行)では、「-님」の語義として「《人名・官名・職名などや、一部の名詞に付いて》尊敬を表わす:・・・さん、様、殿」とあります。役職のある人などを呼ぶ場合に、日本語では「○○社長」とか「××先生」とするのが普通ですが、韓国語では「○○사장님」とか「××선생님」とするそうです。

日本では役職をつけるだけで敬意を示すことになるので、よほど特別な感情を持っているのでない限り「様」を追加することはないと思います。また現代日本語の敬語の考え方では二重敬語は不可とされ、役職名に「様」をつける必要はないと教えられています。

韓国では役職に「-님」をつけるのは当然とされるようで、むしろ日本風に「○○사장」のように「-님」を抜くと(大袈裟に言えば)場が凍り付くそうです。ただし韓国のネイティブ感覚としては、「-님」が必要な役職と不要な役職があるのかもしれませんし、「-님」をつけなくても良い状況とつけなければいけない状況があるのかもしれませんが、非ネイティブである日本人にはわからない領域です。

昭和初期の日本語の言語感覚の一例として「のらくろ」(田河水泡) を参照すると、「連隊長殿」とか「少尉殿」のように、当たり前のように職名や階級名に「殿」がついている事が確認できます。もしかすると日本語においても、かつては役職に「様」などをつけるのは当然とされていた時代があったのかもしれません。

歴史的経緯はともかく、日本と韓国における「様」と「님」の有無の必要性について、文化的背景を理解した上で相手側の発言を理解したいと僕は考えています。そうでないと、一方的に自国の習慣を絶対視し、相手側の文化を無視した独断をおこなうことになってしまうでしょう。

外国の言葉を学ぶなら、文法規則を表面的に記憶するだけではなく、文化的背景も学ぶようにしたいと思います。

サツマイモ栽培日記

数年前から家庭菜園でサツマイモを育てており、今年もサツマイモの苗を植えました。束になっている苗を購入し5本植えました。

植えた直後は萎れていましたが、なんとか根付いてくれました。

ところが何故か1本だけ枯れてしまい、4本になりました。

さらに1本の苗が、根切り虫にやられたのか、弱ってきて枯れる寸前になりました。

ところが駄目かと思っていた苗が意外にしぶとく成長を続けています。

今後どのくらい成長して実をつけるか楽しみです。

2016/07/01

LibreOfficeは「無料で使えるMicrosoft Office」なのか

文書作成や表計算などをおこなうならMicrosoft Officeを利用することが多いと思います。OSが必ずしもMicrosoft Windowsではないし、オフィススイートが必ずしもMicrosoft Officeではないと思いますが、デファクト・スタンダードと言えるのは間違いないでしょう。

ウィキペディアで「オフィススイート」を調べると、Kingsoft Office、JUST Officeなど数多くのオフィススイートが出てきます。有料販売されている製品の他にも無料で使えるLibreOfficeやApache OpenOfficeなどもあります。無料で使えるこれらのオフィススイートは有料のMicrosoft Officeの代替として着目され、その存在を認知されることになるようです。つまり「無料で使えるMicrosoft Office」という認識を持たれるようです。

しかしこの認識で良いのでしょうか。LibreOfficeを使えばMicrosoft Officeで作成したファイルを読めますが、書式が完全に再現されるとも限りません。キー操作がMicrosoft Officeの場合と似ていますが、全く同じという訳でもありません。そもそもLibreOfficeの開発目標は「Microsoft Officeの完全互換を目指す」ことではないはずです。

このことを理解するとLibreOfficeの評価が変わるのではないでしょうか。「無料で使えるMicrosoft Office」だと考えていれば「LibreOfficeなんか使えない」と思うかもしれません。しかし「LibreOfficeはLibreOfficeであり、Microsoft Officeではない」と分かれば「LibreOfficeは使え」ます。

一般に誰かに何かを説明する場合、その相手が既知の事柄をもとにして説明することがあります。そうすると「LibreOfficeってMicrosoft Officeみたいなもの」という説明をすることになりますが、それは相手に先入観を与えることになります。相手がMicrosoft Officeの頻繁なバージョンアップで度重なる出費に困っていれば「無料で使えるMicrosoft Office」という期待を持つかもしれません。

文章を作成するためにMicrosoft Officeを利用するとしても、それが個人的に使いやすい道具なのであれば、そうすれば良いでしょう。他人からとやかく言われる筋合いはありません。しかしその文書を他者と交換するのではあれば話は変わってきます。WYSIWYG形式のインターフェイスを持つMicrosoft Officeや(たとえ無料であったとしても)LibreOfficeでは、互いに同一製品の同じバージョンを用いないと安心して情報交換をおこなえない恐れがあります。他者との情報交換において有料ソフトウェアの使用が暗黙の内に仮定されるのは、望ましい傾向ではないと思うのです。

iMacrosを利用した情報検索

Firefoxには「iMacros」というアドオンがあります。これはWebにおける操作(テキストボックス入力、ボタン押下など)を記録してスクリプトにすることで、定型的な操作を自動化できます。

僕は図書館・文書館・史料館などを一括して検索するために利用しています。例えば国立国会図書館国立公文書館国文学研究資料館などではWebを通して検索をおこなうことができますが、それぞれが独立したサイトなので、検索するためには各サイトで個々に操作しなければなりません。ここでiMacrosを利用すれば大幅に手間を省くことができます。

以下に示すようなスクリプトで検索をおこなっています。2行目では、ブラウザのウィンドウにあるタブを全て消しています。3行目の指定をすることで途中で処理が止まらないようにし、4行目でタイムアウトするまでの時間を10秒にしています。5行目でダイアログボックスを出して検索文字列を変数!VAR1に入れます。その変数の内容を各サイトで検索していきます。検索対象サイトを増やしたければスクリプトに処理を付け加えれば良いのですが、サイトごとに検索方法が異なりますので既存のスクリプトを流用することはできません。

VERSION BUILD=8970419 RECORDER=FX
TAB CLOSEALLOTHERS
SET !ERRORIGNORE YES
SET !TIMEOUT_PAGE 10
PROMPT "検索文字列" !VAR1
'##国文学研究資料館
TAB T=1
URL GOTO=http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0001401KTG
TAG POS=1 TYPE=INPUT:TEXT FORM=ID:CsvSearch ATTR=NAME:IS_KEY_TMP1 CONTENT={{!VAR1}}
TAG POS=1 TYPE=SPAN ATTR=TXT:検索
'##国立公文書館
TAB OPEN
TAB T=2
URL GOTO=https://www.digital.archives.go.jp/
TAG POS=1 TYPE=INPUT:TEXT FORM=ID:tps ATTR=NAME:IS_KEY_S1 CONTENT={{!VAR1}}
TAG POS=1 TYPE=A ATTR=TXT:検索
'##国立国会図書館
TAB OPEN
TAB T=3
URL GOTO=https://ndlopac.ndl.go.jp/F/STQBDPC3Y326PRV1GBQ4JMGK842KDYB6J7927M4EUTNCY1UFFI-01563?func=file&file_name=login
TAG POS=1 TYPE=A ATTR=TXT:NDL-OPAC
TAG POS=1 TYPE=INPUT:TEXT FORM=NAME:form2 ATTR=NAME:request CONTENT={{!VAR1}}
TAG POS=1 TYPE=INPUT:IMAGE FORM=NAME:form2 ATTR=SRC:https://ndlopac.ndl.go.jp/exlibris/aleph/u21_1/alephe/www_f_jpn/icon/btn-search.gif

このようなサイトの横断検索は図書館だけであれば「カーリル」のようなサイトを使うこともできますし、都道府県内の図書館に限定した横断検索サイトもあるようです。しかし既存のサイトでは希望するサイトが検索対象に入っていない場合があります。個々のサイトで検索処理をおこなうのは定型化できる単純作業なので、できるだけ自動化を図りたいと思います。