逆に日本語で「例を示しましょう」と言いたい場合、英語に堪能なら多くの言い方が思いつくのかもしれませんが、英訳として「Here's an example.」に辿りつきたいとします。学習者に対して「日本語を英単語に置き換えても、英文にはならない(かもしれない)」とか「英作文ではなく英借文をせよ」とアドバイスされることが多くあります。この場合なら、日本語で言いたい「例を示しましょう」から、「これが例です」という日本語に変換して、そこでおもむろに「Here's an example.」を導き出すというステップを踏むことが求められているのでしょうか。
日本語は助詞を駆使すれば語順は何とでもなる言語ですし、これに対して英語は語順が重要な言語です。先に示したように、日英対訳を経由した英借文手法を求めるのであれば、日本語で考えた自分の言いたいことを、如何にして日英対訳における日本語文に繋げるかという技術が必要になります。こういうことを常に意識していると、素早く英文が出てこないので、次第に英訳しやすい日本文が思いつくような脳に変化してくるのではないかと思います。
単純な和文英訳に限らす、日本語には日本語の、英語には英語の「発想方法」があり、言葉はその発想を表現しやすいように出来ているはずです。2012年4月6日号の(当時の)週刊STには「English across Cultures」という本名信行さんの連載があり、次のように語られています。
一つ例を挙げましょう。ある会合に、出席する予定だった人が来ていなかったとします。後日、その人に尋ねるとき、日本人は「私はあの会合に行きましたが、あなたはどうしてこなかったのですか」と言います。これを英語にすると、"I went to the meeting. Why didn't you come?" となります。ところが、ネイティブスピーカーは、こういう状況では、"I was there. Where were you?" というような言い方をします。ネイティブスピーカーは動きではなく、存在としてとらえるのです。英語を話すときには、英語らしい表現にしたいと思います。その方が相手に伝わりやすいと思うからです。日本語的な発想を英訳した文章でも、相手は理解してくれるでしょうけど、そのときに相手の頭の中は普段とは違う部分が全力で動いているはずです。これは逆の場合を考えてみれば納得できるでしょうか。例えば日本語を話せる英米人が、英語的な発想を日本語にした文章を話したとすると、日本語だから言っていることは聞き取れても、言いたいことを追いかけるのに疲れてしまうのではないでしょうか。
ここで述べたことを踏まえて英語を勉強すべしとは主張しませんが、意識の片隅には置いておきたい考え方だと思っています。
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