The Japan Times STの2016年7月8日号に「In space-tight Japan, how to live like a minimalist」という記事が掲載されています。「ミニマリスト」は持ち物が数えるほどしかなく、それは無駄を削ぎ落とす禅の教えに通じるところがあるとしています。その考え方の是非を他人が論じることはできないと思います。良し悪しを論じるのではなく、その言葉から受ける印象を記しておきたいと思います。
現代の日本にはモノが溢れており、生きていくために必要なモノはもっと少なくも構わないはずだ、という意味での「ミニマリスト」の考え方は共感できます。ただし少なければ少ないほど良く、究極的には何も持たないのがゴールだという意味であれば、それは極端だろうと感じます。
記事で紹介されている人は以前は書籍・CD・DVDなどのコレクターだったそうですが、それらは手放してしまい、今では友人から「取調室のようだ」と言われるような部屋に様変わりしているそうです。当人にすれば利点の多い生活なのでしょう。掃除が楽だと思いますし、地震や火事にあっても失うものが(そもそも)ありません。本が読みたければ図書館で、CDやDVDなどはレンタルショップで、おそらく調理器具なども無いと思われるので、食べ物などはコンビニなどで調達するのではないかと思います。
その一方で、記事に掲載されている写真からは髪の毛を短く整えているように窺えますが、顎鬚も整えているように見えます。髪の毛が長かろうと短かろうと、顎鬚があろうと無かろうと、それは個人的な嗜好ですから他人がとやかくいう事ではありません。僕が言いたいことは、何を手放し、何を残すのかは、個人的な価値観の現れだということです。
「ミニマリスト」ではない人達であっても、家の中にモノを溜め込むことに抵抗感を持つ人はたくさんいます。中長期的な生活まで見据えると「ミニマリスト」からすれば不要に見えるものが家のなかに置かれることになるかもしれません。しかし都会であればコンビニでもレンタルショップでも図書館なども時間を気にせず利用できるかもしれませんが、誰もがそのようなサービスを受けられる場所で暮らしているわけではありません。必要を感じた時に入手できないかもしれない可能性を考慮して、自宅にストックしておくという判断をしているはずです。
「ミニマリスト」の正反対の存在は、ゴミ屋敷とか汚部屋と呼ばれるように、溜め込む一方で全く廃棄しない生活です。そうなる要因はいろいろあって一概には言えないと思いますが、何かが必要となった瞬間に所有していない場合の不安に耐えられないこともあるでしょう。
個人の所有物を極限まで切り詰めるか、もしくは極限まで保持するか、または両者の間のどこかにおちつくか、人はそのどれかを選択して生きているはずです。どれが良い悪いということはないでしょう。どれが多い少ないということはあると思います(正規分布に従うでしょうから、中間の人数が最も多いはずです)。価値観によって決定されることですが、社会状況の影響も受けている筈です。
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