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2022-04-18

単語カードとして使えるスマホアプリ

2022年4月から放送大学で「初歩のロシア語('22)」を受講し、ついでにNHKの「まいにちロシア語」も聴いています。キリル文字には慣れてきましたが、これからは単語を覚えていく必要があるでしょう。


伝統的な外国語学習であれば単語カードを作るところだと思いますが、単語カード作成は勧められないという意見もあります。その理由として、単語カードを作るのが大変なので三日坊主になりがちであるとか、自分で単語カードを作るぐらいなら市販の単語集を買えば良いなどがあげられます。そのような意見も理解できますが、市販の単語集に掲載されている語の中で覚えられないものを抜き出したいとか、そもそも市販の単語集が見当たらないという事もあるでしょう。


スマホで何かアプリがないか探してみたら「フラッシュカードアプリのおすすめ7選|暗記に役立つ便利な無料アプリとは?」という情報を見つけました。その情報でも指摘していますが、「フラッシュカードアプリの選び方1. 自分で問題を作れるか確認して選ぶ」という点が重要です。あらかじめ組み込まれた単語しか出てこないのであれば、別にスマホアプリでなくてもよいわけです。また単語のような短いものだけではなく、長めの例文も扱えることが望ましいと思います。さらに、キリル文字とかハングルなどが文字化けしないことも大切です。


かなり多くのスマホアプリが存在するようなので、選択に困るのですが、「FlashCard」を選んでみました。機能的にはシンプルで、「【分散学習アプリ④解説 】「FlashCard」お母ちゃんでもササッと簡単に使いこなせた!画像で徹底解説」では、他のアプリと比較しても優位性がないと指摘されています。しかしながら、別途用意したテキストファイルから単語などをインポートするのは簡単ですし、機能が盛りだくさんなら良いというものでもないので、僕個人的には、このアプリをつかっていこうと考えています。

2017-04-10

英文が書けるようになりたいにも拘わらず、練習に前向きになれない言い訳の分析

外国語を身につけたいと思っています。別に英語でなくても構わないのですが、これまでの勉強の蓄積と、使い道の多さを考えると、英語が無難なのは間違いありません。

外国語学習においては「四技能(読み・書き・聴き取り・会話)を満遍なく伸ばすこと」が大切であると言われています。インプット系(読んだり聞いたり)は、これだけインターネットが発達した現代社会なら、素材は有り余るほどです。これに対してアウトプット系(書いたり話したり)は自らの能動性が求められるので、意識的に学習しなければならないと考えています。最終的な目標としては、英文で文章を書くのに(主観的に)不自由しないことです。しかしそれは遠い目標なので、とりあえずは英文を書く練習をして、書くことに慣れたいと思っています。

こういう事は随分前から思っているのですが、なかなかエンジンがかかりません。動き出したかと思うと、あっという間に止まってしまって、長続きしないのです。

その原因を分析してみると、こうなります。
  1. そもそも文法や語法が弱いし、単語や慣用表現の蓄積が足りない。
  2. 日本語で文章を考えて英訳しようとするが、はたしてそのようなやり方でよいのかと思い留まる気持ちになる。
思い留まったりせず、四の五の言わずに、英文をどんどん書くべきだ、という意見があるようで、それはそれで一理あるとは思っています。またそれで上手くいった人もいることでしょう。なんとなくスパルタ的な方法論だとは感じます。例えるなら、泳げるか泳げないか、または泳ぎに必要な技能が身についているかなどは気にせず、どんどん海に飛び込んでいけば、自然と泳げるようになるんだという臭いを感じるのです。

さらには、英語学習に関してではありませんが、技能習得に際して最初に変なクセがついてしまうと矯正が大変だ(もしくは矯正できない)から、最初に自己流で変なやり方をしない方が良いということも、よく耳にするところです。

それで結局どうした良いのかと、この文章の最初に書いたようなところに戻り、その後の文章のような思考を辿り、壊れたレコードのように思考がループしています。どこかでこのループを断ち切らなければならないでしょう。

教育方法論のひとつに「i+1」 というものがあるそうです。これがループ脱出の鍵になるんじゃないかと考えているところです。

2016-09-09

兄弟姉妹の呼称

現在通用している言語が幾つあるのか詳らかではありませんが、いろいろな観点から分類して特徴や起源を探ろうとする試みが続いています。その成果がどうなるかとは別問題として、ある言語とその言語を使う人々との相互作用に注目してみます。

「言語が思考を規定する」という考え方があります。その是非はともかく、頭の中にある言語化される前段階のイメージを実際に言語を通じて表出する際には、特定の言語の差異に直面することになります。ここでは具体的に兄弟姉妹の呼称について考えてみます。

日本語であれば、(1)相手の年齢の上下と、(2)相手の性別の2つを基準にして、以下の4通りで表現します。これは一見すると合理的に思えるので、世界中の言語が(どのように表記されるのかは別問題として)同じように分類していると考えてしまいがちです。
自分より年上 自分より年下
相手が男性
相手が女性

ところが英語やスペイン語などでは、(1)相手の性別を基準に区別しているだけで、自分との年齢の上下関係で呼称を使い分けていません。
英語 スペイン語
相手が男性 brother hermano
相手が女性 sister hermana
余談になりますが英語とスペイン語を見比べると、スペイン語の方が文法的な原則を厳守しているような印象をうける単語になっています。

さらにハングルでは、(1)相手の年齢の上下、(2)相手の性別、さらに(3)自分の性別という3つの基準で表現を変えており、しかも(4)年下の相手の区別はしないという(日本語からすると)複雑な体系になっています。
自分より年上 自分より年下
自分が男性 自分が女性
相手が男性 오빠 동생
相手が女性 누나 언니

どの言語であっても母国語として用いていれば、それで何の不自由も感じていないはずです。不自由だと感じるのは、母国語とは体系が異なる他国語に接した時です。例えば日本人が英語を母国語とする相手に「弟」を表現したい場合に「brother」としただけでは落ち着かないので「younger brother」のように表現して年齢の上下を区別しようと(無意識かもしれませんが)します。相手からすれば、英語という母国語の体系をベースにした発想をするため、わざわざ「younger」をつける相手の意図を訝しむかもしれません。

これが「言語が思考を規定する」といわれることですが、言語と思考は互いに影響し合うため、どちらが卵でどちらが鶏かという訳でもありません。ただ少なくとも言語が既にそうなってしまっていて、その言語を使う場合の発想もそうなってしまうという事実があるだけです。

言葉は月日が経つと変わっていくので、ある言葉遣いが正しいとか間違っているという判断の基準をどこにおくのかは難しいところです。将来は兄弟姉妹の呼称の分類基準が変わっていくかもしれません。方向性としては英語やスペイン語のように単純化する方向に変わっていくような気がしますが、それはとてつもなく長い年月がかかるのではないでしょうか。

2016-07-03

韓国語の敬称としての「-님」

小学館『朝鮮語辞典』(2001年9月10日初版11刷発行)では、「-님」の語義として「《人名・官名・職名などや、一部の名詞に付いて》尊敬を表わす:・・・さん、様、殿」とあります。役職のある人などを呼ぶ場合に、日本語では「○○社長」とか「××先生」とするのが普通ですが、韓国語では「○○사장님」とか「××선생님」とするそうです。

日本では役職をつけるだけで敬意を示すことになるので、よほど特別な感情を持っているのでない限り「様」を追加することはないと思います。また現代日本語の敬語の考え方では二重敬語は不可とされ、役職名に「様」をつける必要はないと教えられています。

韓国では役職に「-님」をつけるのは当然とされるようで、むしろ日本風に「○○사장」のように「-님」を抜くと(大袈裟に言えば)場が凍り付くそうです。ただし韓国のネイティブ感覚としては、「-님」が必要な役職と不要な役職があるのかもしれませんし、「-님」をつけなくても良い状況とつけなければいけない状況があるのかもしれませんが、非ネイティブである日本人にはわからない領域です。

昭和初期の日本語の言語感覚の一例として「のらくろ」(田河水泡) を参照すると、「連隊長殿」とか「少尉殿」のように、当たり前のように職名や階級名に「殿」がついている事が確認できます。もしかすると日本語においても、かつては役職に「様」などをつけるのは当然とされていた時代があったのかもしれません。

歴史的経緯はともかく、日本と韓国における「様」と「님」の有無の必要性について、文化的背景を理解した上で相手側の発言を理解したいと僕は考えています。そうでないと、一方的に自国の習慣を絶対視し、相手側の文化を無視した独断をおこなうことになってしまうでしょう。

外国の言葉を学ぶなら、文法規則を表面的に記憶するだけではなく、文化的背景も学ぶようにしたいと思います。