「言語が思考を規定する」という考え方があります。その是非はともかく、頭の中にある言語化される前段階のイメージを実際に言語を通じて表出する際には、特定の言語の差異に直面することになります。ここでは具体的に兄弟姉妹の呼称について考えてみます。
日本語であれば、(1)相手の年齢の上下と、(2)相手の性別の2つを基準にして、以下の4通りで表現します。これは一見すると合理的に思えるので、世界中の言語が(どのように表記されるのかは別問題として)同じように分類していると考えてしまいがちです。
自分より年上 | 自分より年下 | |
相手が男性 | 兄 | 弟 |
相手が女性 | 姉 | 妹 |
ところが英語やスペイン語などでは、(1)相手の性別を基準に区別しているだけで、自分との年齢の上下関係で呼称を使い分けていません。
英語 | スペイン語 | |
相手が男性 | brother | hermano |
相手が女性 | sister | hermana |
さらにハングルでは、(1)相手の年齢の上下、(2)相手の性別、さらに(3)自分の性別という3つの基準で表現を変えており、しかも(4)年下の相手の区別はしないという(日本語からすると)複雑な体系になっています。
自分より年上 | 自分より年下 | ||
自分が男性 | 自分が女性 | ||
相手が男性 | 형 | 오빠 | 동생 |
相手が女性 | 누나 | 언니 |
どの言語であっても母国語として用いていれば、それで何の不自由も感じていないはずです。不自由だと感じるのは、母国語とは体系が異なる他国語に接した時です。例えば日本人が英語を母国語とする相手に「弟」を表現したい場合に「brother」としただけでは落ち着かないので「younger brother」のように表現して年齢の上下を区別しようと(無意識かもしれませんが)します。相手からすれば、英語という母国語の体系をベースにした発想をするため、わざわざ「younger」をつける相手の意図を訝しむかもしれません。
これが「言語が思考を規定する」といわれることですが、言語と思考は互いに影響し合うため、どちらが卵でどちらが鶏かという訳でもありません。ただ少なくとも言語が既にそうなってしまっていて、その言語を使う場合の発想もそうなってしまうという事実があるだけです。
言葉は月日が経つと変わっていくので、ある言葉遣いが正しいとか間違っているという判断の基準をどこにおくのかは難しいところです。将来は兄弟姉妹の呼称の分類基準が変わっていくかもしれません。方向性としては英語やスペイン語のように単純化する方向に変わっていくような気がしますが、それはとてつもなく長い年月がかかるのではないでしょうか。
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