今はほぼ発音した通りに表記しますが、昔はそうではありませんでした。例えば、「蝶々」は「てふてふ」ですし、「今日は」は「けふは」でした。ふと思ったのですが、「今日は」が「けふは」となるなら、「京都」は「けふと」にはならないのでしょうか?確か「京都」は「きやうと」だったはずですが、発音として「きょう」となるものが、「けふ」であったり「きやう」であったりするのは何故なのでしょうか。
同じような疑問を持つ人はいるようで、「旧かな使い 「ちょうちょ」は「てふてふ」 「今日」は「けふ」」という質問がWeb上にあるのを見つけました。要するに、発音として「きょう」となるものの書き方は複数あり、「けふ」、「きやう」などがあり、「京都」の場合には「けふと」にはならず「きやうと」とするのだそうです。
Webで検索してみたら「昭和十七年七月国語審議会 新字音仮名遣表」という資料が見つかりました。その「新旧字音仮名遣対照表」によると、新仮名遣「きょう」は、発音として「キョー」であり、旧仮名遣では「きやう けう けふ」とあります。
旧仮名遣は、古文を読解する際などの、歴史的な存在としてしか認識していないので、細かいところはよくわかっていません。これを自分から使おうとは思いませんが、なかなか難しいものなのだと再認識しました。
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