立花隆の『「知」のソフトウェア』 を読んでいたら、次のような文がありました(90頁、「5 入門書から専門書まで」)。
大きなプロジェクトの場合には、実際の取材に入る前に、何ヵ月もかけて資料を読み、予備知識をたっぷり仕込むということをする。
このようなことをするのは彼だけではないでしょう。たいていの人は、書籍なのか、雑誌なのか、何かの報告書なのか、もしかしたらWeb上に置かれているPDFかもしれませんが、とにかく資料を「読む」でしょう。
しかし僕が気になったのは、彼が資料を「読み」と書いていることです。これを最近では、資料を「読み込み」と書く人が多いと感じています。「読む」よりも「読み込む」の方が、精力を集中している印象を与えられると考えているのかもしれませんが、真相は書いた本人にしかわからないことです。
「読み込む」という表現が当たり前になってしまうと、「読む」だと軽い印象を受けるようになります。言葉のインフレだと思います。しかし「読み込む」でも軽い印象を受ける時期がいずれ訪れるでしょう。その時にどんな表現が現れるのでしょうか。いまから想像もつきませんが、未来のその時を待ちたいと思います。
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