サマセット・モームの『人間の絆』を読んでいますが、全体の半分あたりまで読みました。読んでいたら以下のような次のような記述がありました。
前には、あのセント・ジェイムズ公園の美しさが、常に喜びであり、よく彼は、ベンチに坐って、影絵のように、空にひろがる樹々の梢を眺めたものだった。まるで日本の版画のようだった。それからまた、船着場や、川船の浮ぶあの美しいテムズ河の河景色に、それこそ掬みつくせない魔術を感じたこともある。四時に変るロンドンの空は、彼の心一ぱいに、楽しい空想を齎してくれた。
ここで「まるで日本の版画のようだった」とあります。サマセット・モームが「日本の版画」に対して持っていたイメージが何だったのかという事と同時に、当時の読者が持っていたであろう「日本の版画」のイメージが何だったのかという事も気になります。
小説の一表現として「日本の版画」に言及するのは著者であるサマセット・モームの判断ではありますが、読者が何を想像するかという点の社会的な共通認識が存在したのではないかとも思います。ここで言う「日本の版画」というものが、浮世絵とか広重の作品のようなものがヨーロッパで流行していたという事なのか、それとも誰か別の日本人の作品が当時のイギリスで有名だったのか、どうなんでしょうか。
この作品では、これ以外にも日本に言及する場面が出てきます。これから読み進めていくと、他にも日本に言及する場面が出てくるかもしれません。わざわざ「日本」について言及することが重要とも思えません。この作品で重要なのは、むしろ「ペルシャ絨毯」であり、これが人生の意味を見いだすための重要なアイテムになっています。
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