2021-07-10

フィリップは幸福だった。

先月からサマセット・モームの『人間の絆』を読んでいましたが、最後まで読み終えました。主人公であるフィリップが新しい人生を歩みだそうとしたところで物語が終わり、ハッピーエンドと言えるのではないかと思います。


この作品は、フィリップが問いかける「いったい人生とは、なんのためにあるのだ?」に対して「人生に意味などあるものか。」という答えを提示する物語でもあると言われています。その答えを得るために、フィリップがクロンショーから貰ったペルシャ絨毯が示唆を与えていることになっています。「人生に意味などない」という結論だけを取り上げると、なにやら投げやりな響きもあります。この一言だけで結論づけるのではなく、もう少し説明しないと、その真意が歪められてしまうのではないかと危惧します。物語の中では、以下のようにも語られています。

幸福という尺度で計られていた限り、彼の一生は、思ってもたまらないものだった。だが、今や人の一生は、もっとほかのものによって計られてもいい、ということがわかってからは、かれは、自然勇気が湧くのを覚えた。


そしてさらにフィリップは次のような事に思い至ります。

そして人生の終わりが近づいた時には、意匠の完成を喜ぶ気持、それがあるだけであろう。いわば一つの芸術品だ。そして、その存在を知っているのは、彼一人であり、たとえ彼の死とともに、一瞬にして、失われてしまうものであろうとも、その美しさには、毫も変わりないはずだ。


そして「フィリップは幸福だった。」と悟ります。


人生の意味を問う作品は少なくありません。V・E・フランクルの『〈生きる意味〉を求めて』も、そのような作品の一つでしょう。フランクルは「生きる意味」について考察する中で、次のように語ります。

つまり意味は自分自身で探究し、自分自身で見つけていかなければならないものなのである。だから、たとえすべての普遍的な価値が完全に失われたとしても、ユニークな意味を探求し発見していくことは可能なのだ。簡単に表現すれば、価値は死んでも、意味は長く生き続けるということである。


人生論という類の書籍は、他にも沢山あります。それを全て読みきったとしても、自分自身の答えが見つかるのかという点で、私自身は懐疑的です。自分の求める答えを得るためのキッカケならば、それは『人間の絆』からでも『〈生きる意味〉を求めて』からでも得られると思いますが、それは普遍的な真理というよりも、目が開かれたという境地にあると思います。


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