2021年度は放送大学教養学部で「英語で「道」を語る('21)」を受講することにしました。その第2回の講義のタイトルは「茶道/The Tea Ceremony」です。
印刷教材(放送大学では教科書のことをこのように呼びます)には以下のような文があります。
What is suggested here is that 'Teaism' is not just about drinking tea but about something more than that, something that is closely related to our view of life.
茶道というのは、ただお茶を飲んでいるだけではなく、人生観に関係する何事かであるというのです。私自身は茶道には縁がなく、その目指す境地はわかりません。しかし茶道がそのような方向を目指しているだろうという事はわかります。茶道に限らず、武道でも華道でも、芸事はそういう方向を目指しているように思います。
それは理解できるとして、お茶を日本に伝えたのは鎌倉時代の栄西だという話があります(諸説あるようです)が、それが「茶道」というものに発展することに何故なったのかは、よく考えると不思議です。そこには千利休の果たした役割があるとは思いますが、茶道として完成されたことが必然だとも自明だとも思いません。
一方で、珈琲が日本に伝わったのは江戸時代の長崎出島のオランダ商館だったという説があります。お茶と同様に舶来品ですが、「珈琲道」というものが出来ることはありませんでした。
「道」というものの諸芸に通底する思想が考えられます。しかし因果関係として、そのような思想があったことを原因として、茶道という結果が得られたとは思えず、そのような思想がなかったことが原因で、珈琲道という結果を得られなかったとも思えません。
道としての芸事を生むことになる、何か別の要因や原因があるのではないかと思うのです。
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