2021-04-02

「原稿は農作物」

東京大学出版会の広報誌「UP」の2021年4月号に掲載されていた「生産者の顔が見える原稿」(言語学バーリ・トゥード13、川添 愛)を読んでいたら、「原稿は農作物」と譬えていました。その趣旨は、「書けば出来上がる人工物ではなく、植えて育てる自然物だ」ということです。


「原稿」に限らず、何かを作り上げていく場合には、生産ラインにおける工程管理のような具合にはいかないものです。筆者が書いているように、原稿を執筆するのは約8時間だが、構想し始めてから出来上がるまでには平均しても10日間ほどかかっているようです。要するに原稿を仕上げるためには、着想から完成まで2週間ほど必要となりますが、その間で実作業に携わっていたのは延べ8時間程度でしかありません。それを一気呵成にやろうと試してみても、「無理!」だそうです。


ソフトウェア開発の問題を指摘した「人月の神話」という名著があります。ソフトウェア開発に限らず、プロジェクトでは規模を「人月」で測定することがよくあります。開発期間が年単位でスケジュールされ、携わる人員も延べで何百人にも何千人にもなるのであれば、「人月」という発想でも管理できるかもしれません。「人月」という発想の根本にあるのは、10人月であれば、1人なら10ヵ月だし、10人なら1ヵ月で済むという(本当かと思いますが)ことだからです。その発想が適用できる範囲について、必ずしも認識が合っている訳ではないようです。大規模プロジェクトならまだしも、メンバが数人程度のプロジェクトとか、上述した記事の場合なら筆者本人だけですが、その場合でも同じ発想を持ち込まれると、困った状況になります。筆者が原稿を仕上げるには、着想からならば「10人日」くらいですが、執筆だけなら「1人日」となってしまいます。出来上がった原稿に対する報酬が、「人日」を基準しようとされてしまうと、報酬額を引き下げようとする圧力の要因になってしまうでしょう。


「原稿は農作物」という主張に戻ると、それを具体化した事例は、納得できます。

  1. 「農業の基本は土作り」に相当するのが、原稿執筆なら「書く人のコンディション」だ。
  2. 農業に「種」が必要なように、「文章を書く上で絶対に必要」になるのは「テーマというかネタ」だ。
  3. 農作物が育つには、人手をかけるだけではなく、自然にまかせる必要があるように、原稿も「書けば出来上がる人工物ではなく」、「時間とともに原稿が自然に育つのを待つ」必要がある。

原稿を執筆する場合でも、何か美術作品を創作する場合でも、何かのソフトウェアを製作する場合でも、どんなに些細なものであったとしても、何かを新たに作り上げようとする際には、工場で大量生産をする場合のような「生産性」を求めるのは、お門違いだと思うのです。

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