2020-03-29

玄田有史「リスク管理論ではない「危機対応学」である理由」(UP、2020年3月)を読んで

東京大学出版会の広報誌「UP」の2020年3月号に掲載されていた「リスク管理論ではない「危機対応学」である理由」(玄田有史)を読みました。この論考は、東京大学出版会から発行されている『危機対応の社会科学』が出版されたことを踏まえています。本来なら、それを読むべきとは思いますが、専門書ですし、手を出しやすい価格でもないので、読むのは将来の目標としておきます。

UP掲載文を読んで、気になったところを(備忘のために)残しておきます。それらは出版された書籍からの引用となっていて、それをさらに引用することになるので、孫引きではあります。

県知事としてのガバナンスのあり方に加えて、震災対応の教訓などについても語っていただいたことがある。そのなかにこんな言葉があった。
「危機は対応することはできるが、管理することなど絶対にできない」(宇野重規・五百旗頭薫編『ローカルからの再出発―日本と福井のガバナンス』有斐閣、2015年、211頁)。

これと同様の次のような記述もあります。
 しかしながら、そもそも危機とは、リスクの内容や影響を正確に把握し、事前に対策を講じることが可能で、損失を極小化できるようなものなのだろうか。むしろ管理や制御といった次元を超えた、未知や不可解さを認めたところにこそ、危機とその対応の本質が存在するはずである。

そこで危機対応学として挑む内容の方向性を、4つの共通軸でとらえている。
  1. 事前と事後
  2. 個別と集団(個々人がいかにベストな選択をしても、社会全体の集団からみたとき、それが最善の結果をもたらすとは限らない)
  3. 確立と意識
  4. 事実と言説 (事実と言説の違いを見極める知恵が、一人ひとりに求められるだろう)

2020年夏に予定されていた東京オリンピックの延期が決まり、COVID-19のもたらす影響が全世界に拡がっている今日は、まさに「危機」と言えるでしょう。毎日の報道はCOVID-19関連ばかりであり、その熱波に影響を受けている社会的な熱狂から冷静さを保つのは、決して容易ではありません。そのような今だからこそ、事実を見極める冷静な目が要請されるでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿