もうすぐ2018年は終わり、2019年を迎えます。西暦は今後も年を重ねていきますが、「平成」という年号は来年後半には無くなっています。いったい年号は何になっているのでしょうか。
日本で年号が使われるようになったのは「大化」からですが、明治よりも前は天皇の代替わりとは無関係に改元されていました。何か凶事があったりした時に気持ちを新たにするために改元されたりしていました。それを明治以降は天皇の在位と元号を合わせている訳で、日本に元号が導入される前の状況と同じになっています。要するに「推古天皇の御代の3年目」のような考え方になっているわけです。
社会の変化と天皇の在位が同期していれば良いのですが、そういう訳にもいきません。明治時代はどうの、大正時代はどうのと言ったところで、改元に合わせて社会や文化が変化するわけではありません(影響は受けるとは思いますが)。
いっそのこと社会の大きな変化で改元しても良いのではないかとも思います。例えば昭和20年は日本にとって大きな節目なので、そこで改元するわけです。例えば昭和20年を戦後元年とするとか、バブルが崩壊して「失われた十年」とか「失われた二十年」とか呼ばれているので、バブル崩壊の年を失われた元年(元号を漢字二文字とするのも止めるわけですが)とするのです。
ここで書いたのは半ば冗談です。はたして新しい年号は何になるのでしょうか。
2018-12-23
教育観の違い
2018年12月21日付The Japan Times Alphaに掲載されている「3-minute Reading With Kip」に次のようなことが書いてありました。
よく日本人は完璧主義で、失敗を恐れて行動しない(できない)と言われます。失敗から学ぶためにも、まず行動すべきだという意見を耳にしますが、いざ失敗すると非難が怒涛のように飛んでくる面もあります。行動して非難される(出る杭は打たれるという諺もありますし)よりも、行動しないで埋没しているのを選ぼうとするのも、やむを得ないとも思います。
悪い面は目につきやすいが、良い面は気付きにくいという事なのかもしれません。
In the U.S., children are encouraged to think for themselves, explore the world and learn from their failures. In Asia, children are shown the "correct" way, then are carefully guided until they master this.この教育観の差異は、絶対的という事ではなく、そのような傾向があるという意味だと思いますが、確かにその通りかもしれません。
よく日本人は完璧主義で、失敗を恐れて行動しない(できない)と言われます。失敗から学ぶためにも、まず行動すべきだという意見を耳にしますが、いざ失敗すると非難が怒涛のように飛んでくる面もあります。行動して非難される(出る杭は打たれるという諺もありますし)よりも、行動しないで埋没しているのを選ぼうとするのも、やむを得ないとも思います。
悪い面は目につきやすいが、良い面は気付きにくいという事なのかもしれません。
生活
2018年12月21日付のThe Japan Times Alphaに掲載されていた記事「シネマ倶楽部」の中の「これを読めば映画ツウ!」に次のような箇所がありました。
とにかく何でも「~活」なので、いいかげん食傷気味です。そう感じていたところで「生活」を見て、一瞬混乱しました。生きるための活動という事で「生活」かと思ってしまいました。最近は格差が二極化してきていて、生活が苦しいと訴える人も少なくないので、そういう人達にとって「生活」は大切なことなのかと思ってしまいますが、よく考えると「生活」って昔からある単語でしたね。
この頃、婚活や終活など「~活」という言い方が増えているが、学生の就職活動を「就活」と略しているのは昔からだと思いますが、近年「~活」が増えてきているのは感じていました。結婚するために「婚活」、子供を授かるために「妊活」はまだ良いとして(良くない?)、人生の終末期を迎えて「終活」とは、いったい何だろうと思います。
とにかく何でも「~活」なので、いいかげん食傷気味です。そう感じていたところで「生活」を見て、一瞬混乱しました。生きるための活動という事で「生活」かと思ってしまいました。最近は格差が二極化してきていて、生活が苦しいと訴える人も少なくないので、そういう人達にとって「生活」は大切なことなのかと思ってしまいますが、よく考えると「生活」って昔からある単語でしたね。
2018-12-07
「いただきます」の倫理
国立民族学博物館が友の会会員に送付する「月刊みんぱく」の208年11月号(通巻494号)の巻頭エッセイ「千字文」は「「いただきます」の倫理」(伊勢田 哲治)でした。その内容を紹介したい訳ではありませんが、文末に書かれている意見には考えさせられました。そこだけを以下に引用します。
どのようなことなのかというと「電子メールは日中に送信する のがマナー」だというようなのです。もうすこし説明すると、日中というよりは「就寝中に受信するのは許されない」ということらしいです。何故かというと「就寝中にスマホ(もしくは携帯)の着信音が鳴ると、安眠を妨げる」からなのだそうですが、私自身はナンセンスだと感じます。
電子メールをスマホ(や携帯)で受信するか否かは受信者の志向にすぎず、PCで受信するユーザだって相当数いるはずです。さらにスマホ等で受信するとしても着信音が鳴るかどうかだって受信者の設定状況にすぎません。着信音がうるさくて就寝中に目が覚めてしまうなら、鳴らないようにしておけば良いのではないかと思うだけです。
用件がある相手に、電話をかけるのではなく、電子メールを使う判断をするメリットの最たるものは、相手にダイレクトに繋がらないことだと思います。電話だと、その瞬間に相手が何をしていても割り込むことになりますが、電子メールならその心配はありません。着信と同時に相手が電子メールを見て、直ちに反応して、ほとんど電話と変わらないレスポンスが得られるかもしれませんが、それは偶然であって、電子メールのレスポンスタイムにリアルタイム性を求めるのは筋違いです。
電子メールのマナーに関する不思議な言説が流布する背景には、電子メールの送受信をスマホで済ませる利用者が多く(相当多い?)、また日本国内の中でやりとりしているだけであることがあるようです。それはそれで別に構わないのですが、何しろ今はグローバルな時代ですから、日本の裏側にあるような国々とも簡単に電子メールでコミュニケーションできるのです。相手の日中は日本で夜間ですから、「(日本の)日中に受信できるように電子メールを送るべきだ」というのは、とても傲慢な主張と言えるでしょう。
上述の「マナー」が常識と化しているとは思っていませんが、そのようなニュアンスの主張が何かの折に顔を見せるのは経験しています。このような不思議なマナーが登場する根本にも、日本人の奥底にある感覚に起源があるのかもしれません。
こうした出所のはっきりしない考え方がわずか十数年で現在のように流布していることを考えると、「『いただきます』 の倫理」は日本人の根深い動物倫理観と結びついていると思われるし、(以下略)私がエッセイで論じられた内容に同意するかどうかという事ではなく、引用した文の先頭にある「出所のはっきりしない考え方がわずか十数年で現在のように流布している」という点に強く引き付けられました。話しが飛ぶと感じられるかもしれませんが、この文を読んだ時に私は、ここ数年で「電子メールのマナー」とされている(らしい)ことを思い出しました。
どのようなことなのかというと「電子メールは日中に送信する のがマナー」だというようなのです。もうすこし説明すると、日中というよりは「就寝中に受信するのは許されない」ということらしいです。何故かというと「就寝中にスマホ(もしくは携帯)の着信音が鳴ると、安眠を妨げる」からなのだそうですが、私自身はナンセンスだと感じます。
電子メールをスマホ(や携帯)で受信するか否かは受信者の志向にすぎず、PCで受信するユーザだって相当数いるはずです。さらにスマホ等で受信するとしても着信音が鳴るかどうかだって受信者の設定状況にすぎません。着信音がうるさくて就寝中に目が覚めてしまうなら、鳴らないようにしておけば良いのではないかと思うだけです。
用件がある相手に、電話をかけるのではなく、電子メールを使う判断をするメリットの最たるものは、相手にダイレクトに繋がらないことだと思います。電話だと、その瞬間に相手が何をしていても割り込むことになりますが、電子メールならその心配はありません。着信と同時に相手が電子メールを見て、直ちに反応して、ほとんど電話と変わらないレスポンスが得られるかもしれませんが、それは偶然であって、電子メールのレスポンスタイムにリアルタイム性を求めるのは筋違いです。
電子メールのマナーに関する不思議な言説が流布する背景には、電子メールの送受信をスマホで済ませる利用者が多く(相当多い?)、また日本国内の中でやりとりしているだけであることがあるようです。それはそれで別に構わないのですが、何しろ今はグローバルな時代ですから、日本の裏側にあるような国々とも簡単に電子メールでコミュニケーションできるのです。相手の日中は日本で夜間ですから、「(日本の)日中に受信できるように電子メールを送るべきだ」というのは、とても傲慢な主張と言えるでしょう。
上述の「マナー」が常識と化しているとは思っていませんが、そのようなニュアンスの主張が何かの折に顔を見せるのは経験しています。このような不思議なマナーが登場する根本にも、日本人の奥底にある感覚に起源があるのかもしれません。
2018-12-06
「3Dビューアー」に変わっている!
Microsoft Windows 10のスタートメニューに「3D뷰어」というエントリーが現れ、いったいなんだろうと思っていました。ところが、さきほどスタートメニューを見たら「3Dビューアー」に変わっていました。つまりハングル表記だったのは、ただのバグだったということでしょうか。
これがバグではなかったとしても(個人的にはバグだったのだろうと判断していますが)、その存在を認識し、意識に上らなければ、有耶無耶のうちに問題が通り過ぎても気が付きません。禅問答のようですが、問題か否かに関わらず、意識することは大切だと思います。
これがバグではなかったとしても(個人的にはバグだったのだろうと判断していますが)、その存在を認識し、意識に上らなければ、有耶無耶のうちに問題が通り過ぎても気が付きません。禅問答のようですが、問題か否かに関わらず、意識することは大切だと思います。
2018-12-04
ディスコースマーカーと英作文(または英借文、もしくは要約)
英語(に限らず、外国語一般)を学ぶには、4技能(読む・書く・聞く・話す)をバランスよく伸ばすと良いと言われます。受信技能(読む・聞く)を伸ばすには、英文を読んだり、英語番組などを聴けばよいでしょう(能力がぐんぐん伸びるとは限らないかもしれませんが)。インターネットで探せば、一生かかっても読み切れないほど、聴き終わらないほどの素材が見つかります。
しかし発信機能(話す・書く)を練習するのは大変です。特に「話す」ためには相手が必要ですから、英会話教室に通うなどの方法をとらないと、一人で練習するのは困難が伴います。それに比べると「書く」のは、一人でも出来ることです。書いたものを評価するには誰か指導者が必要にはなりますが、書くだけなら一人で出来ます。しかし「書く」ための練習(それも日々おこなうような基礎訓練)として何をしたら良いのか、なかなか見つけられませんでした。
インターネットで方法を探すと、いろいろな方法が提示されていることは分かります。例えば「日記を書こう」とか「英語の文章を数文で要約しよう」というものが見つかりますし、「グズグズ言わずに、手を動かして英文を書けばよいだけだ」というものもあります。おっしゃる通りではありますが、どうも習慣にならず、最初の一歩が踏み出せずにいました。
何か方法がないものかと考えていたところ、Yahoo知恵袋で「英語の和文英訳が本当に解けません。」を見つけました。この質問のベストアンサーとして選ばれていた回答では、ディスコースマーカーと英借文が勧められていました。 英借文は知っていますが、ディスコースマーカーは初耳でした。
学習参考書ですがZ会から『ディスコースマーカー英文読解』が出ているようです。「ディスコースマーカー」とは、文と文とを繋ぐときの決まり文句のことのようですが、それほど大量にある訳ではないので丸暗記してしまう必要があるようです。
英語学習初級者が練習として書く英文は、小学生低学年が書くような単純な文になりがちです。それを幾つも集めて文章にしたところで、子供っぽさが強く表れてしまいます。そこでディスコースマーカーを使えば、多少はマシな文章に見えることでしょう。
ディスコースマーカーという用語は初耳でした。英語を学ぶ過程で、これまでも見たことはありますが、「ディスコースマーカー」という用語で整理した説明は見た記憶がありません。学参書レベルの文法書でも、話題として取り上げられていないような気がします。
ディスコースマーカーを学べば英作文が出来るようになるという訳でもないと思いますが、英作文が出来るようになる為にはディスコースマーカーを学んでおくと良いと感じています。
しかし発信機能(話す・書く)を練習するのは大変です。特に「話す」ためには相手が必要ですから、英会話教室に通うなどの方法をとらないと、一人で練習するのは困難が伴います。それに比べると「書く」のは、一人でも出来ることです。書いたものを評価するには誰か指導者が必要にはなりますが、書くだけなら一人で出来ます。しかし「書く」ための練習(それも日々おこなうような基礎訓練)として何をしたら良いのか、なかなか見つけられませんでした。
インターネットで方法を探すと、いろいろな方法が提示されていることは分かります。例えば「日記を書こう」とか「英語の文章を数文で要約しよう」というものが見つかりますし、「グズグズ言わずに、手を動かして英文を書けばよいだけだ」というものもあります。おっしゃる通りではありますが、どうも習慣にならず、最初の一歩が踏み出せずにいました。
何か方法がないものかと考えていたところ、Yahoo知恵袋で「英語の和文英訳が本当に解けません。」を見つけました。この質問のベストアンサーとして選ばれていた回答では、ディスコースマーカーと英借文が勧められていました。 英借文は知っていますが、ディスコースマーカーは初耳でした。
学習参考書ですがZ会から『ディスコースマーカー英文読解』が出ているようです。「ディスコースマーカー」とは、文と文とを繋ぐときの決まり文句のことのようですが、それほど大量にある訳ではないので丸暗記してしまう必要があるようです。
英語学習初級者が練習として書く英文は、小学生低学年が書くような単純な文になりがちです。それを幾つも集めて文章にしたところで、子供っぽさが強く表れてしまいます。そこでディスコースマーカーを使えば、多少はマシな文章に見えることでしょう。
ディスコースマーカーという用語は初耳でした。英語を学ぶ過程で、これまでも見たことはありますが、「ディスコースマーカー」という用語で整理した説明は見た記憶がありません。学参書レベルの文法書でも、話題として取り上げられていないような気がします。
ディスコースマーカーを学べば英作文が出来るようになるという訳でもないと思いますが、英作文が出来るようになる為にはディスコースマーカーを学んでおくと良いと感じています。
2018-12-02
新幹線品川駅のホームドア
新幹線に限らず在来線でも、駅のホームにはドアが設置されるようになってきています。ホームドアのない駅もありますが、今後工事されていくのだと思います。ホームドアの動作は、基本的には、車両がホームに到着し停車してから、おもむろにホーム側のドアが開きはじめ、次に車両側のドアが開き、乗客が乗降する、というのが基本的です。
新幹線もホームドアの動作は同じはずなのですが、(確か)品川駅の新幹線ホームは動作が違います。
新幹線がホームに滑り込んでくると、車両が停止していないのにホームドアが開きはじめます。車両が停止した時には、ホームドアが完全に開いています。だから、車両側のドアを直ちに 開くことができます。車両が停止してからホームドアが開き始めるよりは、乗降できるまでのタイムラグが短くてすむので、一見すると利便性が高い(ような)気がします。
しかし考えてみると、「利便性が(本当に)高い」のなら、品川の新幹線ホームに限らず、在来線などの全てのホームドアでも同様の動作にすれば良いはずなのに、そうなっていないのは何故なのでしょうか。そもそもホームドアは何のためにあるのでしょうか。
昔は(新幹線だって)ホームドアは無かったので、車両がホームに入ってきたり出発していく時に不慮の事故が起きていたわけです。その危険を避けようとしてホームドアが設置されるようになっているので、現状のように車両が完全に停止してからホームドアが開く方が望ましいと思います。
新幹線もホームドアの動作は同じはずなのですが、(確か)品川駅の新幹線ホームは動作が違います。
新幹線がホームに滑り込んでくると、車両が停止していないのにホームドアが開きはじめます。車両が停止した時には、ホームドアが完全に開いています。だから、車両側のドアを直ちに 開くことができます。車両が停止してからホームドアが開き始めるよりは、乗降できるまでのタイムラグが短くてすむので、一見すると利便性が高い(ような)気がします。
しかし考えてみると、「利便性が(本当に)高い」のなら、品川の新幹線ホームに限らず、在来線などの全てのホームドアでも同様の動作にすれば良いはずなのに、そうなっていないのは何故なのでしょうか。そもそもホームドアは何のためにあるのでしょうか。
昔は(新幹線だって)ホームドアは無かったので、車両がホームに入ってきたり出発していく時に不慮の事故が起きていたわけです。その危険を避けようとしてホームドアが設置されるようになっているので、現状のように車両が完全に停止してからホームドアが開く方が望ましいと思います。
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