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2025-05-02

もうひとつのUPと放送大学

東京大学出版会の広報誌「UP」の2025年4月号には連載「言語学バーリ・トゥード」が掲載されていました。この連載は毎回楽しく読んでいるのですが、驚くところがないわけではありません。同じように感じる人もいて、同誌の「東大教師が新入生にすすめる本」の中で、向山直佑准教授(未来ビジョン研究センター)は、次のように書いています。

『科学的エビデンスにもとづく 100歳まで健康に生きるための25のメソッド』 ルイージ・フォンタナ/寺田新訳(2022)

東大出版もこういう本をだすのか、と驚いた一冊(その後『言語学バーリ・トゥード』に接してもっと驚いた)。 


その連載には、次のような箇所がありました。

 記録係:知らない人を呼ぶのにちょうどいい言葉って、選ぶのが難しいからです。言語学者の滝浦真人も「“知らない人”という呼称のカテゴリーがない」と言ってますし。

 

ここには大学名は出ていませんが、同氏は今は放送大学教養学部人間と文化コース/大学院文化科学研究科の教授です。放送大学は、形式的には放送大学学園が運営する私立大学です。通信制であるため、テレビや新聞の大学入試報道などで取り上げられることはありません。しかし各分野で著名な人達を講師陣に揃えており、しっかり学ぼうとするとお得なのではないかと感じています。

UPと放送大学

東京大学出版会の広報誌「UP」の2025年4月号を読んでいたら、興味深い記事がありました。

 

毎年4月号は「東大教師が新入生にすすめる本」というのが巻頭を飾ります。この企画は、1988年に始まったそうで、今年で38回目だそうです。東京大学出版会の雑誌ですから、基本的に東大の新入生を念頭に置いていると思いますが、それ以外の大学の新入生でも、新入生でなくても、もっと言えば誰であっても、参考になると思います。

 

アンケートの設問は4つあり、その中で「これだけは読んでおこう―研究者の立場から」について、谷中瞳准教授(情報理工学系研究科・理学部)は、放送大学の印刷教材である『自然言語処理』を紹介していました。そこでは次のように書かれています。

 本書は自然言語処理を学びたいという方に、私がいつも最初に読むと良いとお勧めしている書籍である。

 

この科目は昨年受講しました。この科目に限りませんが、45分×15回の講義を聴くだけなら1日で終わってしまいますが、講義を理解し、派生事項にも手を伸ばそうとすれば、それなりに時間がかかると思います。そのような気持ちで、数年前に受講した「入門微分積分('16)」を学びなおしているところです。

2021-02-24

塚谷裕一「テレビ番組における虚構とサイエンスコミュニケーション」を読んで

東京大学出版会の広報誌「UP」通巻580号(2021年2月5日発行) を読んでいて、「テレビ番組における虚構とサイエンスコミュニケーション」に興味をひかれました。書かれているのは、あるテレビ番組の制作担当者からの問い合わせに対応した際の経験を踏まえて科学者としてのあり方を論じています。


経験談として事例を2つあげていますが、その具体的な経過は時と場合によって夫々でしょう(事例とはそういうものです)から、また別な経緯もありえるでしょう。そして最後に「改善は可能か」というタイトルで、次のような事を語っています。

一つは、事前の下調べリサーチに十分な時間と人的資源を当てることだ。予算の少ない番組だと、製作チームのうちの最若手あたりに事前リサーチをやらせる傾向がある。これはきわめて危ない。(後略)


このような問題は、テレビ番組制作サイドに限らず、現代社会の各方面でみられる傾向ではないかと思います。IT関係の「プロジェクト」などは特にそうかもしれません。


要するに「下調べリサーチ」に価値を認めていないのでしょう。それ故に、最若手にやらせておけば十分だという発想が出てくるのでしょう。しかし最若手という存在は、様々な雑用を押しつけられる存在です。あれもこれもやらなければならないので、時間もないでしょう。結局は、「下調べリサーチ」というのは、そのような「雑用」のひとつにすぎないと思われているということです。知的作業を「無駄」(とまでは言えなくても)だと判断しているのかもしれません。


このようなことを考えていた時に、NHKで放映されている「100分 de 名著」で視た場面を思い出しました。2021年2月のテーマは、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』でした。その第4回目(2021年2月22日放送)で聞き手の伊集院さんが、テレビ局のトイレで見た「ここで寝ないでください」という張り紙に関するエピソードを語ります。これは「下調べリサーチ」の問題とは違いますが、通ずるところがあるように思います。

2021-01-09

川添愛「ニセ英語の世界」を読んで

 東京大学出版会の広報誌『UP』の2021年1月に掲載されていた「ニセ英語の世界」を読みました。今日の日本語では外来語をカタカナで表記することが多く、それは必ずしも英語由来とは限りませんが、多くの場合に英語なのは、その通りです。


日本語に現れる(英語としての)カタカナは、元々の英語における意味を保っている訳でもなく、日本独特の意味付けが与えられることも少なくありません。日本語では表現できないような概念を記述するために(英語を)カタカナで示すのは仕方ない事だとおもいます。そうではなくて、日本語の訳語も与えられている概念をカタカナ英語にして、助詞「てにをは」を加えるだけで文を作り上げているのは違和感があります。もちろん何でもかんでも漢字(日本語表記)にすれば良いというわけではありませんが。


掲載された文章では、外国映画の日本でのタイトルについても書かれていました。映画のタイトルが「カタカナ」になっているものと、「日本語」になっているものがあるのは、気がついていました。日本語のタイトルは、原題を意訳していると思うので、直訳とは乖離があっても、別に気になりません。しかしカタカナのタイトルは、原題に近いと思っていたので、そうでもないという事を知り、驚いています。例えば、原題「Gravity」が、日本公開の映画では「ゼロ・グラビティ」になってしまうのは、何故なんだろうと思います。


この著者による連載「言語学バーリ・トゥード」は、毎回興味深く読んでいます。次回も楽しみです。