東京大学出版会の広報誌『UP』の2021年1月に掲載されていた「ニセ英語の世界」を読みました。今日の日本語では外来語をカタカナで表記することが多く、それは必ずしも英語由来とは限りませんが、多くの場合に英語なのは、その通りです。
日本語に現れる(英語としての)カタカナは、元々の英語における意味を保っている訳でもなく、日本独特の意味付けが与えられることも少なくありません。日本語では表現できないような概念を記述するために(英語を)カタカナで示すのは仕方ない事だとおもいます。そうではなくて、日本語の訳語も与えられている概念をカタカナ英語にして、助詞「てにをは」を加えるだけで文を作り上げているのは違和感があります。もちろん何でもかんでも漢字(日本語表記)にすれば良いというわけではありませんが。
掲載された文章では、外国映画の日本でのタイトルについても書かれていました。映画のタイトルが「カタカナ」になっているものと、「日本語」になっているものがあるのは、気がついていました。日本語のタイトルは、原題を意訳していると思うので、直訳とは乖離があっても、別に気になりません。しかしカタカナのタイトルは、原題に近いと思っていたので、そうでもないという事を知り、驚いています。例えば、原題「Gravity」が、日本公開の映画では「ゼロ・グラビティ」になってしまうのは、何故なんだろうと思います。
この著者による連載「言語学バーリ・トゥード」は、毎回興味深く読んでいます。次回も楽しみです。
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