俳句以外にも韻文はありますが、まずは俳句に限定して考えてみます。俳句としての形式がいろいろありますが、音の並びとして「五七五」になっています。これは万葉集以来に日本の韻文の伝統を踏まえているはずです。
例えば、有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」の英訳は(例えば)「Old pond - frogs jumped in - sound of water」(Lafcadio Hearn (1898))があるようです。この英訳は直訳のように感じますが、それについてどうこう言おうというのではありません。
英語にも独自の韻文がある筈です。俳句において、日本語を英語に置き換えたとしても、日本語のリズム(韻文なのですから)や、言外の常識とか暗黙の了解などを、他の言語(英語など)に置き換えるのは、至難の業ではないかと思うのです。出来ない訳ではないと思いますが、容易とは思えません。
おそらく逆もそうでしょう。英語の韻文を日本語訳してみたところで、英単語の綴り上の類似さや、撥音上の相似さを、興味深く工夫して韻文にしても、日本語で同じように表現できるわけではないと思います。日本語的に韻文になったとしても、それは元の英語の韻文とは別の作品になってしまうのではないかと思います。
俳句などの英訳を否定しているのではありません。その困難さを考えているところです。
日本語の古典文学を英訳しようとする試みは数多くあります。俳句のような、極限まで表現を切り詰めたものより、『源氏物語』のような物語文学の方が、英訳しやすい(それでも難しさはのこるでしょうが)のではないかと思います。
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