2017-05-08

夢でない空中飛行

調べものをしていて『新聞集成明治編年史』を見ていたら「夢でない空中飛行」という記事を見つけました。これは明治2年9月に「横浜新報もしほ草」という新聞に掲載された記事だそうです。

明治2年というのは1872年ですから、ライト兄弟が初飛行に成功した(もっともNHKの「BS世界のドキュメンタリー」では2017年5月3日に「人類初飛行の光と影 ~ライト兄弟とホワイトヘッド~」という番組で1901年に有人飛行を成功させたとされるホワイトヘッドを紹介しています)と言われる1903年よりも30年ほど前のことになります。

「もしほ草」という新聞について調べてみると国立国会図書館のデジタル資料に『幕末明治新聞全集』と『もしほ草:横浜新報』を見つけました。どちらの資料もオリジナルではなく翻刻されたものようようです。若干の誤植らしきものを除けは、どちらも内容は同じです。ただし『新聞集成明治編年史』と違うのは、今日における飛行機とは違いますが、イラストが掲載されていることです。飛行船とも違う感じです。尾翼らしきものはありますが、主翼がついていません。またアメリカ国旗のようなものが風に靡いています。

さらに注目すべき点は、「もしほ草」のオリジナル記事には「夢でない空中飛行」というタイトルはついていなかったと思われることです。このタイトルは『新聞集成明治編年史』の編者が独自につけたのでしょう。

記事では「今日に至ては、極めて至奇の器械を、サンフランシスコの或人、方サに発明せり」とあり、「此器械はアゥイトルと名付」と書かれています。明治初年頃の新聞記事において、どれくらい正確な情報を伝えていたのか不明ですが、まったくの作り話という訳でもないはずです。事実誤認は含まれていたとしても、記事にあるような情報を記者が入手したのでしょう。

記事の最後には「日本人この器械に乗り、内部を飛行せんに、拂暁に東京より飛行して長崎を巡覧し、日暮に無滞東京に歸る事を得べし。」とあります。まさに今日そのような社会に我々は生きているのです。

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