国立西洋美術館で「林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商」(2019年2月19日~5月19日)という展覧会が開催されています。その中に明治初期のパスポート(作品番号:12)が展示されており、興味を惹かれました。
配布されているパンフレットの記載によると、林忠正は「1978(明治11)年のパリ万国博覧会を機に通訳として渡仏し」たとのことです。展示されているパスポートは明治11年のものなので、この渡仏のために取得したのでしょう。明治初期のパスポートは、今日の私達が見慣れているものとは、だいぶ違います。そもそも冊子形式ではありませんし、証明写真も貼付されていません。
調べてみたところ、外務省布達第1号(明治11年2月20日)「海外旅券規則」で「従来当省ヨリ発行候海外行免状之儀海外旅券ト改称別紙規則相定候条此旨布達候事」と定められたのが近代パスポートの始まりのようです。林忠正がパリ万博(明治11年5月20日~11月10日)の為に渡仏したのも同年ですから、これに基づきパスポートを得たのでしょう。
写真が無いのに、どのようにして本人を証しするかと言うと、人相書きがパスポートに記されています。顔かたちとか、各パーツの様子が簡潔に書かれていますが、当時としては、こうする以外に方法は無いでしょう。
パスポートに写真が貼付されるようになるのは、大正6年1月20日外務省令第1号で「第2条第2項ノ次ニ左ノ1項ヲ加フ」とあり、「本条ノ願書ニハ最近ノ撮影ニ係ル本人ノ写真2葉(手札形、半身、無台紙)ヲ添付スルヘシ但シ父又ハ母ノ旅券ニ併記スル5歳未満ノ子ニ付テハ此限ニ在ラス」で決まったようです。写真自体は幕末から存在していた筈ですが、万人が利用するようなものではなかったと思います。しかし大正時代くらいになれば、一般に写真が普及し、(今日でいうところの)「証明写真」の理解が広まっていたということなのだろうと思います。
では冊子形式になったのが何時頃かというと、外務省領事局旅券課による「旅券の変遷と最近の動向(海外渡航文書150周年に際して)」(平成28年6月)という資料によると、「大正15(1926)年 冊子型の旅券に改定(1/1開始)」とあります。外務省のWebにある「外交史料 Q&A その他」では「1920年(大正9年)にパリで開催されたパスポートに関する国際会議においてパスポートの形態を国際的に「手帳型」に統一する決議が採択されたことを受け、日本政府もこれに倣いました。」と説明されています。この件の根拠となる外務省令を官報で探してみましたが、見つけられませんでした。
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