北海道にある羊蹄山は「蝦夷富士」とも呼ばれるそうです。羊蹄山以外でも、岩手山が「岩手富士」、大山が「伯耆富士」など、日本各地に「××富士」と別称される山があります。これらを郷土富士と呼ぶそうです。富士山は日本を代表する山ということでしょう。関東には「西の富士、東の筑波」として対比される筑波山がありますが、しかしながら××筑波のように別称される存在にはなっていません。山の代表という訳ではないのでしょう。
同様な例を考えてみると「△△銀座」を思いつきます。「銀座」というと商店街の代表をイメージしますが、日本各地に「銀座」を名前に加えている商店街があります。有名な商店街としては、大阪の黒門市場とか京都の錦市場などがありますが、これらの名前を冠した「△△黒門(市場)」や「△△錦(市場)」のような商店街が日本各地にあるとは寡聞にして知りません。商店街の代表としてイメージされるのは(何時頃からそうなったのか分かりませんが)銀座しか考えられないのでしょう。
さらに日本各地に「小京都」と呼ばれるところがあります。津和野が有名ですが、それ以外にも小京都と呼ばれる地域の連合団体として「全国京都会議」があります。また「小江戸」と呼ばれるところもあります。有名なのは川越でしょう。小京都にしろ小江戸にしろ、京都や江戸が都市の代表と見なされている現れであると思います。
これらの事例からわかるように、本来の意味(富士山は静岡と山梨に跨る山である、銀座は東京の地名であるなど)を流用して地元の何かと結び付ける行為は、本来の意味の持つイメージが広く知られていることでもあります。他にも「辻調理師専門学校は料理界の東大」であるとか、「誰々は平成の水戸黄門」だとか、枚挙にいとまがありません。これらの固有名詞が本来の意味を離れて使われるようになったとき、その存在は類似した諸々とは異なる段階に入ったと言えるでしょう。
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