2024-11-05

世界史≠Σ各国史

図書館で『東大連続講義 歴史学の思考法』という本を見かけたので、読んでみました。何か特定の歴史的事項について書かれている訳ではなく(例示のために具体例は出てきますが)、 歴史学の「思考方法」を提示するのが目的のようです。本書の「はじめに」で以下のように書かれていますが、その通りだと感じました。

だから本書は、いつ読みはじめても遅いということはないし、一度きりでなく、二度三度とくり返しひもといていただけるだけの不変的価値があると確信している。


第4章の「人びとの「まとまり」をとらえなおす―歴史の中の国家と地域」では、以下のような問いかけが投げかけられています。

 人の「まとまり」の最大単位が、世界である。では、その世界の歴史は、どうやってとらえられるだろうか。

 

日本の学校教育では、日本史と世界史という枠組みになっていますし、その世界史というのが世界各国における自国の歴史を集めたものになっているようです。このような理解を本論では「各国史的理解」と呼んでいます。つまり「一国史」を集めると「地域史」になり、「地域史」を集めると「世界史」になるという理解のことです。しかし本論で「各国史的理解の問題点」で書かれているように、多くの限界や問題が潜んでいます。

 

考えてみると、これは世界史だけではなく、日本史にも言えることだと思います。専門的と言えるかもしれませんが、行政組織がつくる「自治体史」と呼ばれる書籍があります。都道府県だったり市町村だったりしますが、発行時点における行政区域内の歴史を語るのですが、現在の行政区域に合わせて過去の歴史がすすんでいく訳ではありません。「市町村史」を集めると「都道府県史」になり、「都道府県史」を集めると「日本史」になる訳ではありません。


これを数式で表すと、次のようになるのではないかと思いました。

世界史≠Σ各国史

日本史≠Σ自治体史


2024-11-03

復活したブラタモリ

2024年3月に突然のように終わってしまった「ブラタモリ」が、2024年11月に復活しました。これはレギュラー番組ではないので、次回の放映があるのか否か不明です。さらにテーマソングやナレーションも変わったので、これまで慣れ親しんだブラタモリとは違い、違和感を覚える人もいるようです。いっそのことタイトルも替えてしまってもよかったのではないでしょうか。「シン・ブラタモリ」とか、「ブラタモリ シーズン2」とか、いっそのこと「帰ってきたブラタモリ」ではどうでしょうか。


レギュラー番組では、テーマソングは井上陽水の「女神」でしたが、今回は小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」に変わりました。ナレーターは「草彅剛」から「あいみょん」に変わりました。同行するNHKのアナウンサーは、レギュラー番組でも定期的に交替していましたので、今回新人に変わりましたが違和感はありませんでした。

 

レギュラー番組終了後のブラタモリは、不定期番組なので、次が何時なのか全く分かりません。今年度中に次があるのか、一年後なのか、何も決まっていないだろうと思います。そうであったとしても、今回同様、二夜連続とか三夜連続のように、集中して放映されるだろうと思います。

 

もしかすると、次が何時になるかわからないブラタモリのために、NHKとしても同行するアナウンサーを固定的に指定しておくことは出来ないかもしれません。レギュラー番組であれば、毎週のように日本各地に同行することになるので、特定のアナウンサーを指名しておく必要がありますが、不定期番組(しかも次が何時なのかわからない)となると、毎回「(ほぼ)はじめまして」か「お久しぶりです」状態になってしまうでしょう。不定期番組である「ブラタモリ」が放映されるたびに、毎回異なるアナウンサーが登場することになるかもしれません。もっと想像をたくましくするなら、ナレーターも毎回変えても構わないのではないでしょうか。さらにはオープニングテーマを毎回変えても構わない気がします。

 

「ブラタモリ」が「ブラタモリ」である所以は、タモリが日本各地でブラブラと散歩するところにあります。オープニングテーマであったり、ナレーターであったり、レギュラー番組で馴染んだものはありますが、それはブラタモリのコアな部分ではないと思います。しかし「ブラタモリ」の主役が他の芸能人に変わってしまったら、それは「ブラタモリ」ではないでしょう。


不定期ブラタモリの次回作品がいつになるのか分かりませんが、楽しみにして待ちたいと思います。

2024-11-02

「ググる」から「ジェミる」へ

検索エンジンとしてGoogleが搭乗したのは、2000年前後のことです。当時は様々な検索エンジンが群雄割拠していましたが、次第にGoogleの独り勝ちとなってきました。20世紀には、調べ物をする際には、図書館で書籍を探したりするのが一般的でした。しかし21世紀には、Googleのような検索エンジンを使うのが当たり前(良い事かと言えば、必ずしもそうとも言い切れませんが)となっています。そのあげくには「Googleで検索すること」を「ググる」と呼ぶようにさえなっています。

 

ここ数年は、ChatGPTのような「生成AI」と呼ばれる技術が大流行しています。このような新技術が登場すると、その新規性を理解するのは容易とは言えません。まず最初は、過去の技術の延長線上で理解しようとします。具体的には、「ググる」ように利用しようとするのです。

 

ChatGPTを「より新しくなった検索エンジン」と理解するのは、全く間違っているとまでは言えませんが、それでは生成AIの能力を引き出せません。しかも生成AIにはハルシネーションと呼ばれる「もっともらしい嘘」をつく特徴があるので、Google検索のつもりでChatGPTを使うと、「この嘘つきめッ」と怒り心頭となるでしょう。

 

要するに生成AIは「より進化した検索エンジンではない」と思うべきなのです。生成AIは生成AIであって、それ以外ではないのです。生成AIの特徴を生かすにはどうすれば良いのかは、個々人が見出していくしかないのではないかと思います。

 

新しい技術が登場すると、「それは一体何者なのか?」という混乱があります。過去に「オブジェクト指向プログラミング」が一般化しようとした頃、具体的にはC++が一般化してきた1990年前後を思い出すと、「オブジェクト指向でプログラミングするとは、具体的に何をすれば良いのか」ということを問う人たちが少なからず存在しました。オブジェクト指向プログラミングにすぐに馴染む人もいましたが、いつまでも腑に落ちない人も少なくありませんでした。

 

また別の事例として、MS-DOSのような単純なシングルタスクOSから、Windows 95/NTのような本格的なマルチタスクOSに移行しようとした際にも、それほど表に現れなかったかもしれませんが、その趨勢に拒否感を覚えた人が存在しました。彼らは「個人の作業というものは、他人はいざしらず、自分としてはシングルタスクで十分である。よってマルチタスクOSのような複雑なものは、自分には必要ない」と主張していました。それが本心なのか否かは、今となっては不明ですが、少なくとも「本格的なマルチタスクOS」が動作するマシンは、当時としては多くのリソースを必要としたので、高価なマシンが必要となるので、そのような金銭的な負担を負えないという意識が隠れていたのかもしれません。


生成AIは、ChatGPTだけではなく、GoogleにはGeminiがあります。他にも様々なものがあり、Google検索のようなデファクトスタンダードとして何が現れるのかは、わかりません。仮にGeminiが主導権を握ったとして、「Geminiを利用すること」を「ジェミる」と表現する時代が、もうすぐ来るのでしょうか。

ホームベーカリーの過発酵と発酵不足

以前からホームベーカリーでパンを焼いています。基本的には食パンを焼くだけで、凝ったことはしていません。朝食で食べられるように、前夜にセットして、明け方に焼きあがるように設定しています。発酵したり焼き上げるのは、深夜の時間帯ですから、その時の気温によって、過発酵になったり発酵不足になったりします。

 

夏場は過発酵になることがあります。過発酵になると、焼き終わってホームベーカリーの蓋を開けた瞬間に、あまりの大きさに驚きます。大きくなったのは見かけだけです。投入した小麦粉は250gですから、膨らんでいるので大きく見えるにすぎません。

 

気温が下がってくると、過発酵となることはなく、むしろ発酵不足となりがちです。焼き終わってホームベーカリーの蓋を開けると、ほとんど膨らまずに焼きあがった小麦粉のカタマリが底の方に集まっているのが見えて、がっかりします。それでも春期や秋期なら、多少は膨らみますが、厳冬期になると全く膨らまないこともあります。いずれにせよ、投入した小麦粉は250gですから、膨らんでいないとしても、小麦粉が何処かに消えたわけではありません。

 

膨らみすぎず、かと言って膨らみが足りないこともない、適正な食パンを焼き上げるには、何か出来ることがあるのでしょうか。パン工場などであれば、厳密に温度を制御できるのだと思いますが、ホームベーカリーでは、「どうなるかは、焼きあがってからのお楽しみ」となるしか仕方ない気がします。

2024-10-30

福井県立図書館の『100万回死んだねこ』

講談社文庫の巻末にある広告ページを見て『100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集』という新刊が出ていることを知りました。簡単な説明しか書かれていませんでしたが、面白そうだったので、購入してみました。早速読んでみましたが、とても面白かったです。私は自宅で読みましたが、電車の中などで読むと、笑いを堪えるのに苦労するだろうと思います。

 

そもそも『100万回生きたねこ』という有名な絵本が存在しています(僕自身は読んだことがないのですが)。それを読もうとして図書館を訪れた利用者が、正確な書名を失念したため、ついうっかりと「『100万回死んだねこ』貸してください」と尋ねてしまったという逸話から、類似した事例を集めた書籍です。

 

いろいろな事例があるもんだと感心します。しかし本書では、次のように書かれています。

私たちはクイズ王ではないので、「ラムネかサイダーみたいな名前の新人作家」→「はい!清涼院流水ですね!」とすぐ正解がだせるわけではないのです。

 

これは全くその通りなのでしょう。図書館の方々のご苦労が偲ばれます。すぐに見つかれば良いでしょうが、実際には、いろいろな質問を重ねながら、探していると思われる書籍を見つけ出していくようです。


直ちに探している書籍にたどりつけるとはかぎりません。例えば、以下のように本書で書かれている事例は、よく目的の書籍にたどりつけたものだと驚きます。

昔からあるハムスターみたいな本を探してるんだけど・・・・・・

 

ここで探していたのが『ハムレット』だった(と思われる)との事ですが、これは相当難しかったんじゃないかと思います。答えがわかってしまえば、「ハムレット」と「ハムスター」は語感が似ているといえば似ている気がしますが、なかなか思いつくものではないと思います。

2024-10-29

蒼天

普段の筆記用具として万年筆を使っています。万年筆といえばブルーブラックだろうと考えていますが、その他にも、赤色とか青色なども使いたいと思っています。赤色としては「色彩雫」の「山葡萄」を使っています。

 

これまでは、青色に特化したインクは使っていませんでした。青色インクを使わずに、どちらかというと「青色っぽい」ブルーブラックを使っていました。万年筆のインクとして「ブルーブラック」は、各社から出ていますが、微妙に「黒色っぽい」ブルーブラックとか、微妙に「青色っぽい」ブルーブラックなど、個性があるように思います。そう考えてきたのですが、「ブルーブラック」は結局のところ「ブルーブラック」であり「青色」ではないので、明確に「青色」をうたうインクを買ってみることにしました。


四季織」には青系のインクは幾つかあります。濃い青色だったり、水色のようだったり、様々なのですが、見本に現れる色と現実に書いてみた色は違うおそれがあります。結局「蒼天」を買ってみました。

2024-10-24

2024年冬からの「青春18きっぷ」

2024年10月24日にJR各社から「2024年冬の青春18きっぷ」に関するアナウンスがありました。いくつかの変更点がありますが、従来と最も異なるのが、「連続した数日間」に限定されたことでしょう。


これまでの青春18きっぷは、使用期間中であれば「連続した」という制限がありませんでした。このため様々な利用方法がありましたが、これが出来なくなります。

  1. 大学生などが夏休みや冬休みなどに実家に戻る際に、1日かけて帰省し、しばらく実家にいて、また1日かけて下宿先に戻るというような、「非連続的」な使い方ができていました。
  2.  1枚の青春18きっぷで、5人まで同時に使用できたので、グループで小旅行をすることができていました。
  3. 学生に限りませんが、移動と滞在を繰り返すような気ままに数週間かけて旅するようなことができていました。

 

2024年冬の青春18きっぷでは、このようなことができなくなります。連続した数日間に限定されることで、移動する手段としての切符という存在にすぎなくなると思います。「5日間連続」の他に「3日間連続」が設定されたのは、悪くないとおもいますが、「青春18きっぷ」の基本ポリシーが大きく変わってしまった事は否めません。

 

どうせなら、さらに「1日間限定」の青春18きっぷも用意してくれると、有り難いところです。値段は、「5日間連続」の20%なら言うことなしです。でも40%とかになってしまうくらいなら、利用する気にはならないでしょう。