検索エンジンとしてGoogleが搭乗したのは、2000年前後のことです。当時は様々な検索エンジンが群雄割拠していましたが、次第にGoogleの独り勝ちとなってきました。20世紀には、調べ物をする際には、図書館で書籍を探したりするのが一般的でした。しかし21世紀には、Googleのような検索エンジンを使うのが当たり前(良い事かと言えば、必ずしもそうとも言い切れませんが)となっています。そのあげくには「Googleで検索すること」を「ググる」と呼ぶようにさえなっています。
ここ数年は、ChatGPTのような「生成AI」と呼ばれる技術が大流行しています。このような新技術が登場すると、その新規性を理解するのは容易とは言えません。まず最初は、過去の技術の延長線上で理解しようとします。具体的には、「ググる」ように利用しようとするのです。
ChatGPTを「より新しくなった検索エンジン」と理解するのは、全く間違っているとまでは言えませんが、それでは生成AIの能力を引き出せません。しかも生成AIにはハルシネーションと呼ばれる「もっともらしい嘘」をつく特徴があるので、Google検索のつもりでChatGPTを使うと、「この嘘つきめッ」と怒り心頭となるでしょう。
要するに生成AIは「より進化した検索エンジンではない」と思うべきなのです。生成AIは生成AIであって、それ以外ではないのです。生成AIの特徴を生かすにはどうすれば良いのかは、個々人が見出していくしかないのではないかと思います。
新しい技術が登場すると、「それは一体何者なのか?」という混乱があります。過去に「オブジェクト指向プログラミング」が一般化しようとした頃、具体的にはC++が一般化してきた1990年前後を思い出すと、「オブジェクト指向でプログラミングするとは、具体的に何をすれば良いのか」ということを問う人たちが少なからず存在しました。オブジェクト指向プログラミングにすぐに馴染む人もいましたが、いつまでも腑に落ちない人も少なくありませんでした。
また別の事例として、MS-DOSのような単純なシングルタスクOSから、Windows 95/NTのような本格的なマルチタスクOSに移行しようとした際にも、それほど表に現れなかったかもしれませんが、その趨勢に拒否感を覚えた人が存在しました。彼らは「個人の作業というものは、他人はいざしらず、自分としてはシングルタスクで十分である。よってマルチタスクOSのような複雑なものは、自分には必要ない」と主張していました。それが本心なのか否かは、今となっては不明ですが、少なくとも「本格的なマルチタスクOS」が動作するマシンは、当時としては多くのリソースを必要としたので、高価なマシンが必要となるので、そのような金銭的な負担を負えないという意識が隠れていたのかもしれません。
生成AIは、ChatGPTだけではなく、GoogleにはGeminiがあります。他にも様々なものがあり、Google検索のようなデファクトスタンダードとして何が現れるのかは、わかりません。仮にGeminiが主導権を握ったとして、「Geminiを利用すること」を「ジェミる」と表現する時代が、もうすぐ来るのでしょうか。