どのような経緯で知ったのか忘れてしまいましたが、新潮文庫の『灯台へ』(ヴァージニア・ウルフ)を読んでみました。登場人物はそれなりにいますが、その中の誰かが主人公というわけでもありません。小説の舞台は、ほとんど動きませんし、時代は第一次世界大戦をはさむ前後となるある日の午後と十年後のべつの日の午前でしかありません。
登場人物の心の動きを描写することに目的がある作品で、その物語の筋書きに何か意味が(あるのかもしれませんが)あるようには見えません。ウィキペディアでは次のように紹介しています。
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』や、ジェームズ・ジョイス『ダブリン市民』『ユリシーズ』と同じく、現代小説作家の伝統を継承、発展しており、『灯台へ』の物語の筋は、その哲学的内観に比べあまり重要ではない。意識の流れの文学的技法を代表する例として引用される。
この作品をどう読むのか、他の人はどう読んだのかということが気になります。これは、どう読むのが正解なのかという意味ではありません。この作品が心の動きを描写しているとしても、現実におきた何かのドキュメンタリーではなく、作者の作品であるからには、その描写には作者の意向があるはずです。もし何も考えずに執筆したというのであれば(それは考えにくいですが)、それはそういう作者の意向であると考えられるでしょう。
面白い作品だったかと問われれば、そのとおりとは言えませんが、ではつまらなかったのかというと、そうではありません。読みながら、その心情に共感できたり、何か閃いたりしましたが、それを言葉であらわそうとすると、うまく表現できずに消えてしまいます。
またいつか読み返してみようかと思います。その時に、今度はどのような感想を持つのか、それが楽しみです。
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