試しにElizaボットをひとつ作ってみるといい。そうすれば、こうした定型表現の限界にすぐに気づくだろう。あなたには、どんな状況にも対応できる返答ひと揃い、用意することができるだろうか。それはとうてい無理な話だ。大半の状況に対応できる返答を考えつくことはできるかもしれないが、すべてというのは難しい。
この記述を見て、ふと思いました。既に絶滅したのかもしれませんが、日本における結婚している男性(夫)が家庭で話すのは「メシ・フロ・ネル」の3語だけと(揶揄を込めて)言われていました。それならば「Otto-bot(夫ボット)」 を作ることが可能ではないでしょうか。しかもブルサード氏が「それはとうてい無理な話だ」と書いているにもかかわらず、「どんな状況にも対応できる返答ひと揃い、用意すること」が、たったの3語で出来てしまうのです。
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