1960年代後半に登場した「巨人の星」や「アタックNo.1」に対して、1980年代前半に登場したのが「キャプテン翼」です。これらの作品は漫画として登場し、アニメ化もされました。その当時の子供たちの人気スポーツにもなっていたと思います。人気スポーツだから漫画作品が生まれたのか、漫画作品があるから人気スポーツとなったのか、結局のところ因果関係は双方向だと思いますが、時代を反映していることは間違いないでしょう。
野球でもバレーでも、もちろんサッカーでも、選手は各々のポジションがあり、その守備範囲を中心でプレーするのが本来の役割です。しかし守備範囲から一歩も動かないという訳でもなく、臨機応変にフィールドを動き回ることになります。
しかし野球(やバレー)とサッカーは大きく違うところは、守備範囲から離れる距離ではないでしょうか。つまり野球であれば、レフトを守っている選手が、ライトや一塁などに行くことは、ほぼ無いと思いますが、サッカーであれば、ボールの移動によっては、サッカーコートの中を何処へでも移動してプレーする可能性があるでしょう。
しかもプロ選手であれば守備範囲と自分の役割を考えて行動するはずですが、 小中学生くらいの子供なら守備範囲も役割も無関係にフィールドを動き回っているように思います。これはサッカーなどでは顕著で、ボールの飛んで行くところに子供たち全員が集まります。だからサッカーコート上では、子供たちが集まっているところと集まっていないところの分布の差が大きく、突然ボールが空白地帯に飛んでいくと、そこへ向かって子供たちの集団が殺到していくという光景を、学校の校庭で繰り広げられているのを目にします。
ところで、会社で行われている大小のプロジェクトはどうでしょうか。メンバーには各々の役割分担があるはずです。しかしプロジェクトの進捗や目標は、サッカーのボールのように、誰の目にもはっきりと見えている訳ではありません(「見える化」というスローガンを掲げていたとしても、本当に「見えて」いますか?)。 もしかしたら小学校の校庭で繰り広げられているサッカーのように、メンバー全員が「見えている」と思い込んでいる目標に殺到し、他のフィールドが空白地帯になっていないでしょうか。
「見たいもの」や「見えやすいもの」ばかり見ているのではなく、「見えにくいもの」を見ようとしていく日々の積み重ねが大切だと感じています。「見えないもの」なんて存在しないと見くびるのではなく、「見えないもの」がある(はずだ)と考えていくところの先に答えがあるような気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿