2025-04-22

巻島 隆『飛脚は何を運んだのか―江戸街道輸送網』

近所の書店で『飛脚は何を運んだのか―江戸街道輸送網』(ちくま新書1841)を見かけましたので、買ってみました。他の新書よりもページ数が多く、読むのに時間がかかりましたが、興味深く読了しました。巻末資料も充実していますし、参考文献も豊富に掲載されているので、これを出発点として、さらに詳しく学ぶにも助かりそうです。

 

私自身の興味関心としては、「飛脚」そのものではなく、明治になって前島密によって創設された郵便制度というものを、当時の人たちは違和感なく受容できたのだろうか?という点にあります。この新書が僕の疑問を解消するための直接的な参考になるわけではありませんが、江戸時代の飛脚制度を知れば、飛脚から郵便への過渡期について何か得られるところがあるのではないかと考えました。

 

本書の「第12章 飛躍する飛脚のイメージ」の「本書まとめにかえて」に、次のようなくだりがありました。

以上、本書で見たように江戸時代における飛脚利用は、身分的に多岐に亘っている。幕府、大名家、旗本、商人、村・町名主、文人などがよく飛脚問屋・飛脚を使った。

しかし、その日暮らしの長屋住まいの庶民が使うケースはおそらく稀であったろう。肉親の危篤や、かなりの緊急性のある場合でなければ、飛脚を使うことは滅多になかった。

 

この記述を考えれば、江戸の頃から飛脚を利用していた層であれば、明治の郵便制度が始まっても、制度的な差異があっても、とくに違和感もなく利用できたのではないでしょうか。しかし江戸期に利用していなかった人々からすれば、明治になって郵便という制度が始まったとしても、直ちに受け入れられたとは思えません。

 

郵便を受け入れられないというのは、これは僕の想像ですが、制度を受け入れられないという意味ではないと思います。もちろん慣れない制度が始まったので、最初は違和感があったでしょうが、それは慣れれば済む話です。むしろ、明治新政府のお触れなどで「郵便」という制度が始まったのは知ったとしても、江戸期に飛脚を利用しなかった人達にとって、それが自分達に関係のある事だと考えなかったのではないかと思うのです。

 

2025年の今日には当たり前となっている制度は、明治になって創設されれものが少なくありません。今日では当たり前でも、当時は当たり前ではなかったわけで、当時の人々は新設された制度を態々何かに使ってみようとするほど暇ではなかったのではないでしょうか。明治新政府の側から、利用を促すような施策がとられた可能性があるかもしれません。このような過渡期に現れる事象について、知りたいと思っているのです。

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