2020-01-23

「パリスの審判」のパリスと「巴里」のパリ

日本で通用される外来語は、(統一しようという意志はあるかもしれませんが)何かの法則に従って翻訳される訳ではないので、いろいろと不統一です。日本人としては当たり前すぎて疑問を感じない事が多いのですが、日本語を学ぼうとしている外国人には、その不規則性で悩んでしまうこともあるようです。

例えば「パリスの審判」というギリシャ神話の中にある有名な物語があります。いろいろな作品がありますが、ルーベンスの作品が著名です。原題はオランダ語で「Het oordeel van Paris」だそうです。

ところでフランスの首都である「パリ」は綴りが「Paris」です。外国の発音の中には「パリス」となるものもあるようですが、日本では「パリ」です。

「パリスの審判」は「パリス」で、「巴里」は「パリ」なのは、それなりに理由があるのでしょうけれども、混乱するところだと思います。綴りは双方とも「Paris」なのですから。

以前、日本語を学んだ外国の方が「Hong Kongはホンコンなのに、King Kongはキングコングなのは何故か。ホングコングでは無い理由は何か」と問われたことがあります。日本語(に限らず言語というものは)はそういうものだからという以上の理由はないと思います。仕方ないことだとは思いますが、こういう事があるというのは知っておきたいと思います。

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