よく知られている小噺に、明治になって上京した薩摩人が言葉が通ぜず、謡曲の詞章で話してようやく用を足しえた、といわれていることや、(後略)これと同じことを、司馬遼太郎の作品の中でも書かれていたような記憶があります。
そのようなことを最初に司馬遼太郎の作品で読んだ時には、(司馬遼太郎は小説家なので)勝手に創作したのかとも思いました。しかし同様のことを網野善彦が書いているということは、半ば常識だったのでしょう。
しかしながら、裏付けをとるのが難しいとも思います。「よく知られている小噺」というのが何なのか明らかではないですし、出典(というものがあれば、ですが)は何なのでしょうか。
本当に「明治になって上京した薩摩人」の話だと思ってよいのか、それとも幕末に京や江戸で活躍した「薩摩人」のことなのか、このあたりも明らかではありません。もしかすると、幕末よりも以前のことなのかもしれません。
そのような(言葉が通じないから謡曲の詞章で話したという)事情が、当時の何かの日記とか、手紙とか、同時代史料に現れていると、もう少し信憑性が高まるのですが。何か無いでしょうか。
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