2019-03-31

「どっちもどっち」は最後の手段

Web上の掲示板サイトを読んでいると、相談者に対して「どっちもどっちですね」というようなコメントがつくのを目にすることがあります。周囲の誰かとの関係に悩んでいる相談者に対して、どちらかに肩入れせず、「どっちもどっち」とコメントするのは中立的な意見の表明のように見えますが、実はとても安易な意見なのではないかと思います。

Web上の文字だけのコミュニケーションでは、しかも何処の誰なのか知らない人達のことなのですから、書かれている文字の背後の事情を想像してコメントすることになります。文字で書かれていることは「相談者」が考えていることですが、背後の事情を想像しているのは「コメントする人」が考えていることです。知り合いでもなんでもない「相談者」の事情を想像した深浅によりコメントしているわけです。

物事の程度の差はあるでしょうが、世の中の問題は須らく「どっちもどっち」と言ってしまえばそれまでです。しかし「どっちもどっち」として中立を装ってみたところで、問題の解決にも繋がらないでしょう。背後にある事情を類推し、自分自身を騙さずに筋を通して、どちらかの立場に身を置くしかないだろうと考えています。それでも「どっちもどっち」としか言いようのないこともあるかと思いますが、それは最後の最後の判断だろうと思います。

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