大ヒットした映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」の中で織田裕二演じる青島俊作巡査部長が叫ぶ「事件は会議室で起きてんじゃない!現場で起きてんだ!」というセリフはとても有名です。この「踊る大捜査線」という作品は、シリーズの他の作品の設定内容を仄めかす演出が多く見られます。次の映画作品「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」では真矢ミキ演じる沖田仁美警視正が「事件は現場で起きてるんじゃないのよ。事件は会議室で起きてるの。勘違いしないで」と語るのは、前作品のあのセリフを踏まえています。この映画だけではなく、TVドラマやスピンオフ作品なども、隅から隅まで何度も視ている愛好家にとっては、よく知っているエピソードばかりなのだと思いますが、よく知らないままに映画を視た観客にとっては、何のことか分からないのではないかと思います。
ところで、長寿のTVドラマシリーズとなった「水戸黄門」は、1969年に東野英治郎が水戸黄門を演じてから、2011年に里見浩太朗でシリーズを終えるまで、40年以上も水戸黄門一行は日本各地を旅してまわりました。この作品はパターンが固定しており、「水戸黄門で印籠を出す時間は決まっていますか?」という質問が出るくらい、よく言えば「安心できる」作品でした。あるシリーズの展開もパターンが決まっていて、水戸で穏やかな(?)日々を過ごす光圀のもとに、お家騒動をおこした藩からの隠密とか脱藩した藩士とかが助けを求めてきて、それに応じた黄門一行が旅に出発し、目的地の藩主の面前で「〇×殿、久しいのう」とか声をかけると、その藩主が「こッ、これは水戸の御老公」とか言いながら平伏するというのが定番です。
さて、ここで「水戸黄門」には「踊る大捜査線」的な演出はなかったのか考えてみたいと思います。(水戸黄門漫遊記は、史実とは全く関係のないお伽噺だというのは百も承知の上で)なにしろ水戸黄門一行は、40回以上も日本各地を旅してきたのですが、行ったことのない土地は無いだろうと思います。しかし考えてみると、作品の中で黄門一行の中の誰かが、例えば、「なぁ助三郎。この前〇×藩に旅したとき、△△ではお主の働きは際立っていたのう」のように、別作品のエピソードを参照するような場面は無かったような気がします。
これは一体どういうことなのでしょうか。水戸黄門一行は、まるで「博士の愛した数式」のように、ひとつの旅が終わると過去の記憶を失ってしまうのでしょうか。毎回旅立つときは、過去の記憶は一切なく、新たな気持ちで出発していたのでしょうか。
ここで「パラレルワールド」的な世界観を持ち込めば、上述した疑問はスッキリと(!)解決するのではないかと思います。水戸黄門一行が、水戸を出発し、目的地で事件を解決し、水戸に戻ってきて平穏な日常に返るという旅路を、40何回も繰り返したのではなく、それぞれが並行時空の出来事であったとSF的な解釈ができそうです。だから仮に東野黄門がA藩に旅したり、B藩に旅した(ように見えたとしても)、それは別次元の世界の物語であって、東野黄門自身は、「旅したのは一度だけだった」という世界しか見えていないのです。