2019/06/24

「AIは「人を真似る」のか」を読んで

東京大学出版会の広報誌「UP」の2019年5月号に「AIは「人を真似る」のか」(松崎拓也、東中竜一郎)が掲載されていました。これを読んで、ふと近年のAIによる対話について考えてみました。

はるか昔には「人工無能」 と呼ばれた会話もどきがありましたが、当時の計算機資源の限界を考えればどうしようもなかったでしょう。最近では、計算機の高性能化や、その背後の研究理論の進展もあり、下手をすれば人間が相手をしていると勘違いしてしまうようなレベルもあるようです。その一方で、どうしようもなく頓珍漢な対話を繰り広げてしまうこともありますが、将来的にはまともになっていくのだろうとは思います。

上述した文章には次のようなことが書かれていました。
会話分析の研究者が言うには「人間の会話は破綻しません。会話が破綻するときは関係が壊れたときです。」

人間は(当然ながら機械ではないので) 言い間違いはするし、おかしな発言が多々あっても、人間同士の対話はそんなに簡単に破綻していないようです。それは何故か、ということを研究するのは、その分野の研究者が日々考えていることですから、素人がどうこういうことはないでしょう。しかしAIによる対話は、(人間が無意識におこなっている)そのような対話を目指すのでしょうか。

人間同士が対話するときには、発話に現れる技術的側面(つまり、なにがしかの知識を持っているか否かや、日本人なら日本語の文法に即して発話を組み立てたり、理解したりできるか、のような)よりも重要なのは、その上位にある当人の意思ではないかと考えるのです。自分の言い間違いや勘違いとか、対話している相手から投げかけられた発話に飛びついて、発話ごとに対話の行方が次々とかわっていくのではなく、当人の意思が対話の方向性を握っていて、発話に振り回された方向性が、あっちにいったり、こっちにいったりしないのではないかと思うのです。

AIによる対話が、小手先の技術を超えた意思を持って行うことができるようになる日が、はたして来るのかわかりません。計算機が意思を持つというのは、いったいどんな未来なのでしょうか。

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