2025-08-10

勉強した事項は、全て理解し覚えて先にすすむ「べき」なのか

放送大学教養学部に所属しています。先月に単位認定試験(放送大学では期末試験のことを、このように呼びます)が終わりました。成績が出るのはまだですが、おそらく単位はとれているでしょう。次学期が始まるまでは、ちょっと気持ちの上で余裕ができます。

 

放送大学に限らず、NHKの語学コースでも何でも、何か勉強する場合、教科書を読み進める上では、(理想的には)読み終えたところまでは全て理解し、用語も覚え、疑問点を全て解消してから、先に進む「べき」なのでしょう。しかし現実には、少なくとも私自身は、理想どおりには進みません。よくわかっていないのに、教科書は先に進んでしまうとか、語学を学んでいるなら、単語も文法も覚えていないけど、テキストはどんどん進んでいってしまうとか、日常茶飯事です。挙句の果てには、理解も覚束ないのに、単位はとれてしまうこともあり、自分自身に不完全燃焼感が残ります。

 

教科書によっては、理解が不十分でも読み進めることを推奨している場合もあります。何度も読み返せば理解できるはずだとの確信があるようです。そうかと思うと、一度説明した事項は、後に残さず、理解してから、先に進むのが当然だと明言している教科書もあります。それがあるべき姿なのかもしれませんが、厳しい要求だとは思います。

 

教科書を一度読んだだけで全て理解できる人も、広い世の中には存在するのかもしれません。しかし凡人は何度も読み返して、ようやく理解できるのです。何度読み返すのかは、数十回の凡人もいれば、数百回の凡人もいて、もしかすると数万回の凡人もいるでしょう。他人と比較して我が身の不甲斐なさを思い知るよりも、自分自身が納得できるまで頑張れば良いのだろうとは思うところです。 

 

何度も読み返す事は必要だとは考えているのですが、それだけでは駄目ではないかとも思います。適切な例えではないかもしれませんが、飛行機が離陸する際に出力を大きくする様子をみていると、滑走路で停止状態の飛行機は、エンジン出力を最大にあげ、一気に離陸しますが、上空では墜落しない程度にエンジン出力を絞っているようです。これは何かを学習する際に、最初頑張れば、いつまでも頑張り続けなくてもすむという比喩のように思えます。

 

最初の段階で頑張らず、ほどほどでよいと暢気に構えていると、いつまでたっても「離陸」できないのではないでしょうか。何か勉強する意欲は大切だとしても、誰しも忙しく、その勉強だけに日々費やしていられるわけでもありません。さきほどの飛行機の例えなら、離陸しようとしている飛行機が、エンジン出力が弱く、いつまでも滑走路を走行し続けているようなものです。例え話なので現実に起こりうる問題ではありませんが、離陸できない飛行機が、滑走路の先端を走り抜けてもなお地上を走り続けているような感じでしょうか。

 

何を学ぶとしても、どんな分野であっても、学べば学ぶほどに奥は深く、どこまで行っても終わりはありません。そうであったとしても、少なくとも「離陸」してしまいさえすれば、人生の全エネルギーを投入しなくても、学び続けていけるでしょう。そこを目指したいと思います。 

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