2023-03-19

のれん

旧聞になりますが「「ローカル路線バスの旅 陣取り合戦」第9弾 三島~甲府」の中で、ある店舗を訪れたら、のれんが出ているのに営業していなかったというシーンがありました。店の外からは、どう見ても営業しているようには見えないのに、のれんは出ています。だから「のれんが出ていれば、営業しているんだよ」という発言もありました。しかし店は閉まっていて、太川チームが意気消沈する場面でした。

 

僕自身の感覚としても、のれんが出ていれば、その店は営業中である、と「基本的」には判断します。ところが最近は、営業していなくても、のれんが出ている店が少なくないようです。ネットでは「「のれん」について教えてください。」という質問も見つけました。

 

のれんを使っている店は和風系だと思います。洋菓子店とか洋食屋などでは、のれんで営業中を示すことができないので、「ただいま営業中」のような札を掲げることで、営業中と営業外を明らかにしています。このような習慣が和風系のお店にも導入されてしまったように思います。営業中と営業時間外を、のれんで示すのではなく、札で示しているのです。だから、のれんは昼も夜も一年中出しっぱなしです。

 

「のれんが出ている」から「営業中」で、「のれんが出ていない」から「今日はお休み」といった、判断が通じるお店も残っていますが、もしかすると、次第に淘汰されてしまうかもしれません。

ジュリ扇

ネットで「「笑いすぎて涙が」「最高です」 子供5人の家に飾られた『雛人形』 ついに男雛が転職する」という記事を見つけました。内裏雛の扇を「ジュリ扇」に換えるというのは思いつきませんでした。秀逸です。

五月人形

3月3日の桃の節句が過ぎ、次は5月5日の端午の節句です。ふと気がついてみると、3月3日の桃の節句には「雛人形」を飾りますが、5月5日の端午の節句には「五月人形」を飾ります。なぜ雛人形は「三月人形」と呼ばないのでしょうか?

 

ネットで「三月人形」を検索すると、まれに「三月人形」という表記も見つかりますが、圧倒的に「雛人形」です。しかしネットで「五月人形」を検索すると、完全に「五月人形」という表記ばかりです。「武者人形」という言い方もあるようですが、ネットで検索する限りでは、雛人形ほどの知名度を得ていないように見えます。

2023-03-04

『感性でよむ西洋美術』を読みました

NHK出版から出ている「学びのきほん」シリーズにある『感性でよむ西洋美術』を読みました。これまで美術館などで作品を鑑賞しても、作品を見るポイントがわからず、何かよいガイドが無いかと思っていました。過去に『まなざしのレッスン』の「西洋伝統絵画」と「西洋近現代絵画」を読んだことがあり、いろいろと学ぶところがありました。それに比べると、この本は100頁強ですから、内容が概略的なのはやむを得ないところです。


しかし、作品を鑑賞するための視点や、美術作品の歴史的変化の意義などが開設されていて、読んで良かったと思います。この本に限りませんが、美術作品の解説書を読むということは、美術作品を鑑賞することの代替ではないし、鑑賞するポイントが解説書に網羅されているわけでもありません。解説書は鑑賞のキッカケを与えてくれるに過ぎないとおもうので、この本を読んだことで、美術館で作品を鑑賞する際の視野が拡がったように思います。

自然科学の実験、社会科学の歴史

朝日新書から出ている『歴史の逆流 時代の分水嶺を読み解く』を読みました。鼎談を書き起こしており、このような形式の書籍は他にも多くありますが、他書に比べると大変充実した内容でした。いろいろと学ぶところが多い書籍でしたが、「第1章 説明しない政治」に以下のような箇所がありました。

 政治学を含め、社会科学の特徴は、自然科学と違って実験ができない点にあります。たとえば政治学の場合、こうなったら革命が起きるだろうと実験することは許されません。自然科学の中にも実験できないものはありますが、ほぼ実験で証明できる。そうした中で、歴史を学ぶというのは、いわば実験の代わりなんですね。過去の似たような事例、もちろん必ず違いはあるけれども、ある程度共通点があるような事例を見て調べて、こうなったら革命が起きるだろうといった具合に考察する。全ては一回ごとに違うからと歴史を調べなくなってしまえば、社会科学というか、社会について分析的に考えることは一切成り立たなくなってしまうわけです。

 

なるほど、と思いました。これまでにも「歴史に学ぶ」という言葉を耳にしてきましたが、「とにかく歴史に学ぶことが大切なんだ」と信仰しているだけで、その意義を深く考えたことはありませんでした。社会科学における歴史の意義が、自然科学における実験の意義と対象的に理解できるということに、間違いなく共通認識となっているか否か定かではありません。しかしこのような対比にはとても納得できます。