Webで「「頭の悪い人だから独学で身に付かない」の勘違い」という記事を見かけました。何かを学ぶときに、自分と相性の良い教科書と、そうではない教科書があるというのです。これを、以下のように説明しています。
私は高校から大学の独学時代、参考書やテキストはいきなり1冊には絞らず、必ず何冊か目を通すようにしていました。なぜ何冊か読んだほうがいいかというと、理解のパターンには相性があって、この説明の仕方だとわからないけれど、別の説明の仕方をしてもらうとわかるということがしばしばあるからです。
この意見には同意します。何かを学ぶときに、マイナーな分野で教科書の選択肢がないのならば仕方ありませんが、何種類か選べるような分野ならば、著名な教科書が必ずしも自分と相性が良いとは限らないと感じています。たとえそれが、高評価を得ていたとしてもです。相性の悪い教科書で苦痛を感じながら学ぶよりは、自分と相性の良い教科書を見つけて、そちらに移った方が良いだろうと思います。ただし「ドクターショッピング」にはならないように注意は必要ですが。
ところが教科書なんて何でも構わないのだ、と主張する向きがあります。このような主張について、先の記事でも筆者は次のように書いています。
「能力のある人は、どの本を読んでもわかる。能力のない人はどんな本を読んでもだめだ」――誰もがそう思いがちですが、それは間違いです。ぜひ自分の理解のパターンに合った本に出合うために、自分なりに探してみる試行錯誤をしてほしいと思います。
これについても、全くその通りだと思います。これが教科書ではなく教師であったとしても、相性の良し悪しというものは、常に存在すると思います。
教科書であっても、教師であっても、選ぶ余地のない場合も少なくないと思いますが、もし選べるのであれば、相性のよい事を重視したいと思います。