ナショナル ジオグラフィック 日本版 2017年9月号に掲載された「彼女が愛し、守ったゴリラたち」はルワンダ奥地でゴリラの研究を続けたダイアン・フォッシーの活動を紹介する記事でした。記事によれば「彼女への評価は分かれるが、チンパンジー研究者のジェーン・グドールが語ったように、『ダイアンがいなければ、今頃はルワンダにマウンテンゴリラは1頭もいなかったかもしれない』のだ」ということです。
この記事にはとても考えさせられました。それは、ゴリラの生態に関心が生まれたからではないし、彼女の活動に興味があるからでもありません。
彼女の活動を詳しく知っているわけではなく、記事に書かれた以上のことは知りません。記事を読んだ印象では、彼女のやり方は地元と軋轢を生んでいたようです。しかし結果としては偉大な成果をあげたといえるのでしょうが、その過程は誰もが参考にできるものではなさそうです。
普通よく聞かれるのは、信念を持つ人物が困難に打ち勝ち最終的に大きな成果をあげるというような物語です。地元もそれを歓迎し、地域も一体となって応援するというストーリーです。この方が道徳的には良いのかもしれませんが、利害が衝突する場合に、どう対処すべきなのか、事前に望ましい結論が判っているわけではないでしょう。
この記事が本来伝えたかったメッセージとは違うところで、とても考えさせられました。
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