2019/01/06

気を遣う必要があるのは誰か

鉄道ジャーナルに掲載されているコラム「Culture & Japan Rail これもまた鉄道」の2019年2月号のタイトルは「時にはスマホのない頃のように」でした。この文章で書かれている指摘は、時代の変化を感じて、驚かされました。関連箇所を引用します。
「気を遣う」というのは、気を遣うことができない相手よりずっと優れていると言ったら言い過ぎなら賢い処世術だと信じていたのだが、この頃は、気を遣う=我慢する=立場が弱い、下であるということになっているようなのである。他人に気を遣うってそんなに嫌なことだったのか。
僕の感覚としても、「気を遣う」という行為は、どのように表現するかは別として、決して悪いことではなく、むしろ称賛されてもおかしくない事と思っていました。気を遣うことで、ギスギスしがちな世間の荒波を、円滑に進めるための手段になるかと考えていました。

コラムで指摘されているような思考の展開が、現在の主流になっているのか否かは不明です。それが多数派か少数派かは別にして、そのような考え方をする人がいてもおかしくない時代になったとは思います。

人間関係の機微を見ることがなく、表面的なことばかり見ていれば、「気を遣わない=立場が強い、上である」という価値観を持つに至るのもむべなるかなと思います。(決してそんな人ばかりではないのですが)社会的立場が上の人達の行動は、「気を遣わない=自分の思ったように行動する」と見えるのでしょう。人は、見えるものを見るのではなく、見たいものを見るということかもしれません。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があることを忘れないでいたいと思います。

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