朝日新聞のオンライン版で「「宇宙世紀は来ない」ガンダム描いた富野由悠季が見据えるリアルとは」という記事を読みました。その記事に、次のような文がありました。
次に、宇宙空間での衣食住について。(1620年に英国からアメリカ大陸に渡った)メイフラワー号が新大陸でアメリカ合衆国を建国できたのは、そこに水と空気と土地があって、先住民が住んでいたことで、人が住めることが明らかだったからです。宇宙はそれが一切合切ない。宇宙開発を目指している企業の責任者は、人が宇宙に住むことの深刻さを想像できていません。
アニメで「ガンダム」が放映されたころは「人類が宇宙で暮らすようになる時が来る」と夢みていました。現実においても、2000年を過ぎて以降は、スペースコロニーは無理だとしても、火星に移住するようにはなるのではないか、しかもそれは、2050年頃までには実現しているのではないか、という「夢」のような話も出ています。
私自身では、何百年も先の遠い未来には、もしかするとそうなっているかもしれませんが、そこに至る過程は容易ではないと思っています。何故ならば、先の記事にもあるように、世界史における大航海時代や新世界発見ならば「そこには水と空気と土地があった」のに、宇宙には(火星でも良いですが)「一切合切ない」からです。
メイフラワー号の乗組員たちが新世界をインドと勘違いしたように、当時の航海では目的地を逸れて見知らぬ土地に流れ着くことも多かったでしょう。そうであったとしても、所詮は地球上の何処かですから、水も空気もあるし、もしかすると航海に復帰することもできるでしょう。それまで生き延びることもできるでしょう。
しかし宇宙は地球上と同じではありません。火星を目指していたつもりが、どこか別の惑星に辿りつく(と言っても、辿りつくまで乗組員は生き延びられないと思いますが) としても、そこには土地はあるかもしれませんが、水や空気が存在する可能性は限りなく小さいでしょう。
そう考えれば、地球上の冒険と宇宙での冒険と同等と見做している事が信じられません。先の記事にあるとおり「人が宇宙に住むことの深刻さを想像できていません」という意見を見て、同じように考えている人が居ることを知り、心強く感じました。