2016/05/07

「こたつのUFO」と「胡蝶の夢」

雑誌「新潮」の2014年6月号に掲載されている綿矢りささんの作品「こたつのUFO」に小説と実体験の関係に触れた箇所があります。
 「現実に体験したことも含まれていますが、大体は想像ですよ」
が正しく思える。
と書いています。この文章は小説の一節であり、研究論文という訳ではありませんので、これを一般化して考えようとは思いません。実体験だらけの小説もあるでしょうし、SFのように体験できないような作品だってあるでしょう。

そうだとしても、人は体験したことがないことを想像できるのか、と考えることがあります。

例えば人は夢を見ますが、そこに映る風景は自分の経験を踏まえているのでしょうか。それとも全く無関係なのでしょうか。少なくとも私がみる夢は実体験に基づいているような気がします。自分が人間以外の何かになった夢とか、自分が見たこともないような土地や時代の夢などはみた記憶がありません。ただし「胡蝶の夢」という説話があるのですから、もしかすると実体験には基づかない夢をみる人が、広い世間の長い歴史の中ではいるのかもしれません。もっとも、当人の発言の真偽を確かめることは出来ないと思いますが。

さて、人というものは全く考えたことがなく全く知らないことを、思い浮かべることができるものだろうか、と話題をもう少し発展させてみましょう。人類の歴史は長く、その過程は世界中において様々です。これに比べて個々人の一生は短く、その中で経験できることなど、ほんの僅かにすぎません。だから自分では体験できないことが多くても、自分には知らない世界があると思って、意識のベクトルを自分から外部へ向けようとすることが必要だと考えています。

結局のところ、人は自分の持ち駒の範囲内で思考し行動するのではないでしょうか。先の見えない世の中(先が見える世の中なんてあるのか、とも思いますが)を渡っていくには、頭の中の抽斗を増やす必要を感じます。

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