2019/09/30

プライド≠pride

日本語では外国由来の単語をカタカナで表記しています。しかしその外来語が具体的な事物であるならいざ知らず、抽象的な概念を表している場合にはカタカナで表記される外来語が元々の国での意味と同じかどうかは分かりません。またその外来語を使って発信している側も、その外来語を受け取る側も、はたして意味を同じように認識しているでしょうか。

例えばカタカナで「プライド」と表記するのは、英単語「pride」のことです。この単語は文中で「誰々はプライドが高いから云々」のように使われます。この外来語を使う側も受け取る側も、なんだか文意がわかったような気になりますが、本当にわかっているでしょうか。

外来語「プライド」ではなく日本語で表現するなら「自尊心」という概念があてはまります。ここで「自尊心」という抽象概念が何を指しているのかという問題が派生しますが、それは別途考えることにして、ここでは踏み込まないことにします。

外来語「プライド」の日本語表現はそれだけではありません。英単語「pride」を日本語に直接的に訳語にあてはめただけでなく、外来語「プライド」として意味が派生したものとして「選民意識」という概念もあるのではないかと考えています。

「自尊心」と「選民意識」とでは、受け取る側からすれば相当ニュアンスが異なります。しかし発信側が外来語「プライド」として表現しただけでは、どのような意味で語っているか、実際のところわかりません。

普段の会話では、ここまで厳格に考える必要はないでしょう。でも曖昧さを残す余地がある表現を(もしかすると意図的に)使うのは、コミュニケーションを壊す要因になると思います。

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