2019/08/26

「電撃戦」と「鎖国」

岩波新書の『独ソ戦』(大木毅)を読んでいます。独ソ戦というのは歴史として知っていますが、より踏み込んだ内容については詳しく知りません。まだ読んでいる最中ですが、これまでの理解が正しいとは言えなかったことを知りましたし、最新の研究成果を反映しているので、より正確な理解ができると期待しています。

なかでも驚いたのが、以下の記述です(47頁)。
「電撃戦」という単語自体、第二次世界大戦前半の一連の戦役ののちに、外国のジャーナリスト、あるいはプロパガンダ当局が用いはじめたもので、軍事用語ではなかったことを解明している。

第二次世界大戦当初のドイツ軍の快進撃は「電撃戦」として解説されることが多いと思っていましたが、ドイツ軍の軍事的な原則ではなかったというなら驚きです。通俗的な歴史理解は、実は歴史的な正確な理解とは限らないという事なのでしょうか。

そこで思いだすのが、日本史で耳にする「鎖国」です。通俗的な日本史では江戸時代は「鎖国」と言われますが、歴史研究者からは「鎖国」などは無く、「海禁」と理解されるという見解も出ています。

当たり前だと思っていた歴史理解が、実はそうではないという事例は、他にもありそうです。

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