2019/07/25

鉄道の「駅」の由来

NHKが放送している「ネーミングバラエティー日本人のおなまえっ!」で、2019年7月18日放送では「鉄道のおなまえ」でした。その中の話題のひとつとして、鉄道の「駅」というのは古代から続く「駅制」の「駅」から採用されたと紹介していました。

古代駅制というのは律令時代の話だと思っていたのに、それが明治時代になってステーションの訳語として「駅」を採用する根拠になったことに驚きました。古代の制度が明治直前まで残っていたのだろうかと思います。

そういう疑問を感じていたところで、偶然『ある明治人の記録』を読んでいたところ、興味深い記述を見つけました。柴五郎が青森から東京に出るため、地租改正調査のために東北巡回中の大蔵省役人の首席である長岡重弘の供を願いでて許されました。その件に次のような記述があります。
 六月初旬なり。父上より賜りし竹行李を背負い、草鞋履き山高帽を耳までかぶりて出発す。長岡氏は牛輿に乗り、他は徒歩なり。長岡氏は心優しき人にて、幼少の余をいたわり、同氏の輿に同乗させ、あるいは駅馬に乗せなどして、実際に歩行せるは一日のうち四、五里なり。
ここに「駅馬」という語が現れます。これが番組で紹介された古代駅制のことなのでしょうか。

東京に出てきた柴五郎は、鉄道開通にも立ち会っています。
 九月十二日、東京―横浜間に最初の鉄道開通す。新橋停車場に造られた桟上に登りて参観す。天皇陛下、柿色の御装束を召され、同じく束帯の百官を従え、横浜より帰着の汽車より降り立ち給う。外国公使もまた列席し、荘厳華麗な式典なり。式後御浜御殿苑内開放されてさまざまなる余興あり。紅白の餅を撒き、余もこれを拾いたるを記憶す。

同じような事が『維新前夜』(野村兼太郎、昭和16年4月30日発行)の「鉄道開業式入場券」にも書かれています。しかしそれは『日本鉄道史』からの孫引きです。『日本鉄道史』というのは大正10年に鉄道省が発行したものだと思います。これは国立国会図書館のデジタルコレクションから見ることができます。

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