2019/02/24

三陸

東北地方の太平洋沿岸を「三陸海岸」と呼びます。ふと思うと、何故「三陸」なのか理解していませんでした。そこでウィキペディアで「三陸」のページをみると、以下のように説明されていました。
明治元年12月7日(1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理が行われた際に陸奥国と出羽国は分割され、陸奥国は陸奥国・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国に5分割された。このとき生まれた、令制国名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」(または陸州)と総称するようになった
なるほど、陸奥・陸中・陸前だから「三陸」ということなんですね。

旧国名は、越後・越中・越前のように「前・中・後」のように三分割されているか、筑前・筑後のように「前・後」の二分割されている例が多いですが、三陸は「前・中・奥」というのが珍しいと思います。

関東には上野・下野のように「上・下」という二分割された例がありますが、関東以外には見当たらないと思います。

近畿には丹後国はあるのですが、丹前国がないのは何故なのでしょうか。

2019/02/16

嗜好品としての酒と煙草と珈琲

酒、煙草や珈琲は嗜好品です。もっとも嗜好品は他にもありますが、この3つを取り上げます。

酒は飲めない、煙草は嫌い、珈琲は苦手などの意見もあるでしょうが(嗜好品なので)、逆に酒豪、ニニコチン中毒、カフェイン中毒と呼ばれる人もいます。好きでも嫌いでも構わないのですが(繰り返しますが、嗜好品なので)、これら3つの間には明確な違いがあります。つまり「酒も煙草もやらない」という表現があったとしても、「煙草も珈琲も飲まない」などといった表現はないのです。要するに「酒と煙草」は別格なのです。

もうひとつ顕著な特徴は、酒や煙草を嗜む人達は結束が強くなりがちであることです。「酒が飲める(=酒に強い)」と自称する人は、同じように酒に強い人を素早く見抜いて、接近し、同好の士として急速に仲を深めるようです。煙草好きも同様です。しかし珈琲が好きであっても、そのような行動に至るとは聞いたことがありません(もしかするとあるかもしれませんが、レアケースだと思います)。

例えば会社の後で飲んでいこうと、誘ったり誘われたりすることがあるのは、よく耳にするところです。また会社内に設置されている喫煙ルームのような場所は、煙草好きのサロンと化していたりして、仕事上の懸案事項が秘かに決まってしまう場であったりもします。

しかしながら、珈琲では、そのようなことは聞きません。会社の後で(珈琲を)飲んでいこうと誘い合う姿など見たことがありませんし、会社内に珈琲ルームが設置されていることもないでしょう(珈琲サーバーはあるかもしれませんが)。

シェルスクリプト内部でのバックグラウンド起動

シェルスクリプトを作成していて、奇妙な動作に気付きました。以下に示すのが状況を再現するシェルスクリプトです。
     1  #!/bin/sh
     2  export LANG=C
     3
     4  mysleep () {
     5          sleep 5
     6  }
     7
     8  myfunc () {
     9          echo "myfunc:$(date)"
    10          mysleep &
    11          echo "myfunc:$(date)"
    12  }
    13
    14  echo "1>>> $(date)"
    15  myfunc
    16
    17  echo "2>>> $(date)"
    18  myfunc | tee
    19
    20  echo "3>>> $(date)"
    21  #[EOF]
これを実行すると、次のような結果を得ます。
1>>> Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
myfunc:Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
myfunc:Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
2>>> Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
myfunc:Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
myfunc:Sat Feb 16 18:05:40 JST 2019
3>>> Sat Feb 16 18:05:45 JST 2019
定義した関数myfuncの内部でmysleepをバックグラウンド起動しようとしています。処理された時間を確認すると、「1>>>」と「2>>>」の間は一瞬なのに、「2>>>」と「3>>>」の間は5秒間あります。つまり「sleep 5」の完了を待っているのでしょう。

こういうものなのでしょうか? パイプで繋いだコマンド群の内部でバックグランド起動が発生するというのが、そもそも見当外れなのかもしれません。

僕が期待していた動作は、myfuncの中でmysleepを「バックグランド」で呼び出したので、myfuncの実行とは切り離されて動作して欲しかったのです。要するに「非同期処理」を期待したのですが、mysleepの完了を待っているので、「同期処理」になってしまっています。

ここで使われている/bin/shは「GNU bash, バージョン 4.2.46(2)-release (x86_64-redhat-linux-gnu)」ですが、他のシェルや、他のバージョンなら違う結果になるでしょうか。それとも、何かの仕様書で、このような動作は決められているのでしょうか。

2019/02/12

前方後円墳

ウィキペディアの「前方後円墳」には次のように書かれています。
 現在の研究では、平面では円形をしている後円部が埋葬のための墳丘で主丘であり、平面が撥形・長方形・方形・台形などの突出部をひっくるめて前方部と呼ぶ。前方部は、弥生墳丘墓の突出部が変化したもので、もともと死者を祀る祭壇として発生・発達とする説や葬列が後円部に至る墓道であったとする説があり、次第に独特の形態を成したと考えられている。
前方後円墳は日本全国43都府県で存在が確認されているそうです。古墳時代には日本中に作られていたようなのですが、ふと考えてみると不思議ではあります。

古墳というのは、形状はともかく、墳墓ですから、その地方で強大な勢力を有していた豪族によって作られたのでしょう。もちろん勢力に応じて、巨大な古墳もあれば、小さめの古墳しか作れなかった場合もあるでしょう。

当時は埋葬するのは土葬の時代ですから、それが勢力を誇示するために巨大化するとなると、円墳になるのが自然です。土を盛り上げただけでは勢力が誇示できないと思ったのなら、高価な副葬品を埋めてみたり、埴輪で周囲を飾ってみたり、いろいろと工夫したのではないかと思います。

もしかすると、その延長線上に円墳から前方後円墳への変化があったのかもしれません。しかし日本全国各地で、ほぼ同時多発的に、(他地域との交流もなく)前方後円墳が発生したと考えるのは不自然ではないでしょうか。

どこかの一地方で、たまたま前方後円墳を作ってみた豪族はいたかもしれません。(当然ながら)テレビもインターネットも無い時代に、その形状が日本各地にどのようにして伝わったのでしょうか。しかも、伝来した(前方後円墳という)形状を、なぜ採用する気になったのでしょうか。

前方後円墳という形状の古墳を作ることに何か圧倒的な利点を有することがなければ、(普通に)円墳でよいのではないかと思うのですが。

2019/02/10

HOゲージのカプラー

鉄道雑誌(鉄道模型の雑誌ではありません)を立ち読みしていたら、「密連IMONカプラー」という製品の広告を見かけました。なんと実際に連結できる密着連結器です。ついにここまで来たかと思いました。

日本の住宅事情の関係かと思いますが、現在主流となっている鉄道模型はNゲージです。しかし僕が鉄道模型に関心を持ちはじめた頃は(Nゲージもありましたが)HOゲージが主流でした(だったと思う)。 さすがにOゲージは下火でした。

当時の鉄道模型は、プラレールほど玩具っぽくありませんが、それでも現実感を再現するよりは、高級な玩具を指向する傾向が残っていたように思います。EF58を安っぽくした「BF58」というのがあった記憶があります。

車両を繋ぐための連結器(「カプラー」とも呼んでいました) は、「ベーカー」と呼ばれていたもので、現実の連結器とは似ても似つかぬ形をしていて、玩具っぽさを醸し出していました。現実の連結器を似せているのは「ケーディー」と呼ばれていて、リアリティがあるのですが、高価で手を出せなかった記憶があります。それに、機関車とか、客車や貨車はケーディーカプラーで良いのですが、電車はそうはいきません。電車は密着連結器を使っているからです。記憶が曖昧ですが、電車の先頭車両のように、連結する必要のない位置に使うための密着連結器の部品があったような気がします。実際に連結することはできないのですが、ベーカーカプラーではみっともないので、せめて見た目だけでも本物っぽくできたような記憶があります。

ところがついに実際に連結もできる「密連IMONカプラー」が販売されているようです。いつ登場したのでしょうか。時代はここまで進んだのかと感慨深いです。

2019/02/03

規律・集中・忍耐

エーリッヒ・フロム『愛するということ』は原題が「The Art of Loving」であり、邦題から想像されるようなハウツー本やノウハウ本ではありません。その「第4章 愛の習練」では、習練を積むために必要なのは、第1に規律、第2に集中、第3に忍耐と述べています。これらが原文ではどのように表現されているのか不明ですが、日本語で(漢字2文字の)漢語で表現されると「なんだか分かった気」になってしまいます。

ところが「規律」を具体的に述べるくだりでは、このように書かれているのです(166頁)。
毎朝決まった時間に起き、瞑想するとか、読書するとか、音楽を聴くとか、散歩するといった活動に一定の時間を割き、推理小説を読むとか映画を観るといった逃避的な活動には最低限しかふけらず、暴飲暴食はしない――といったことは誰にでもわかる基本的なルールだ。
この文の前半は、「規律」という言葉から一般的に想像されるような行動だと思います。しかし後半まで読み進めると、「?」という気持ちになります。それは、前半にある「読書する」というのが、後半では「推理小説を読む(中略)といった逃避的な活動には最低限しかふけらず」と具体的に説明されるからです。それでは「読書する」時に読むのは、どんな書籍を想定しているのでしょうか。どうやら推理小説は駄目のようです。もしかするとライトノベルも駄目かもしれません。人生を深く考える修養書なら大丈夫だと思いますが、具体的に何でしょうか。

この本は、全体を通して読むと、とても良い本だと感じています。何度も繰り返し読みたい本だと思います。しかし字面を追うだけではなく、一文一文をじっくりと批判的に読んでいきたいと思っています。

2019/02/02

網野善彦「日本の文字社会の特質」

網野善彦著作集の第15巻に「日本の文字社会の特質」が収録されており、その「1 日本の文字社会の特異性」に次のような記述があります。
よく知られている小噺に、明治になって上京した薩摩人が言葉が通ぜず、謡曲の詞章で話してようやく用を足しえた、といわれていることや、(後略)
これと同じことを、司馬遼太郎の作品の中でも書かれていたような記憶があります。

そのようなことを最初に司馬遼太郎の作品で読んだ時には、(司馬遼太郎は小説家なので)勝手に創作したのかとも思いました。しかし同様のことを網野善彦が書いているということは、半ば常識だったのでしょう。

しかしながら、裏付けをとるのが難しいとも思います。「よく知られている小噺」というのが何なのか明らかではないですし、出典(というものがあれば、ですが)は何なのでしょうか。

本当に「明治になって上京した薩摩人」の話だと思ってよいのか、それとも幕末に京や江戸で活躍した「薩摩人」のことなのか、このあたりも明らかではありません。もしかすると、幕末よりも以前のことなのかもしれません。

そのような(言葉が通じないから謡曲の詞章で話したという)事情が、当時の何かの日記とか、手紙とか、同時代史料に現れていると、もう少し信憑性が高まるのですが。何か無いでしょうか。