2018-12-07

「いただきます」の倫理

国立民族学博物館が友の会会員に送付する「月刊みんぱく」の208年11月号(通巻494号)の巻頭エッセイ「千字文」は「「いただきます」の倫理」(伊勢田 哲治)でした。その内容を紹介したい訳ではありませんが、文末に書かれている意見には考えさせられました。そこだけを以下に引用します。
こうした出所のはっきりしない考え方がわずか十数年で現在のように流布していることを考えると、「『いただきます』 の倫理」は日本人の根深い動物倫理観と結びついていると思われるし、(以下略)
私がエッセイで論じられた内容に同意するかどうかという事ではなく、引用した文の先頭にある「出所のはっきりしない考え方がわずか十数年で現在のように流布している」という点に強く引き付けられました。話しが飛ぶと感じられるかもしれませんが、この文を読んだ時に私は、ここ数年で「電子メールのマナー」とされている(らしい)ことを思い出しました。

どのようなことなのかというと「電子メールは日中に送信する のがマナー」だというようなのです。もうすこし説明すると、日中というよりは「就寝中に受信するのは許されない」ということらしいです。何故かというと「就寝中にスマホ(もしくは携帯)の着信音が鳴ると、安眠を妨げる」からなのだそうですが、私自身はナンセンスだと感じます。

電子メールをスマホ(や携帯)で受信するか否かは受信者の志向にすぎず、PCで受信するユーザだって相当数いるはずです。さらにスマホ等で受信するとしても着信音が鳴るかどうかだって受信者の設定状況にすぎません。着信音がうるさくて就寝中に目が覚めてしまうなら、鳴らないようにしておけば良いのではないかと思うだけです。

用件がある相手に、電話をかけるのではなく、電子メールを使う判断をするメリットの最たるものは、相手にダイレクトに繋がらないことだと思います。電話だと、その瞬間に相手が何をしていても割り込むことになりますが、電子メールならその心配はありません。着信と同時に相手が電子メールを見て、直ちに反応して、ほとんど電話と変わらないレスポンスが得られるかもしれませんが、それは偶然であって、電子メールのレスポンスタイムにリアルタイム性を求めるのは筋違いです。

電子メールのマナーに関する不思議な言説が流布する背景には、電子メールの送受信をスマホで済ませる利用者が多く(相当多い?)、また日本国内の中でやりとりしているだけであることがあるようです。それはそれで別に構わないのですが、何しろ今はグローバルな時代ですから、日本の裏側にあるような国々とも簡単に電子メールでコミュニケーションできるのです。相手の日中は日本で夜間ですから、「(日本の)日中に受信できるように電子メールを送るべきだ」というのは、とても傲慢な主張と言えるでしょう。

上述の「マナー」が常識と化しているとは思っていませんが、そのようなニュアンスの主張が何かの折に顔を見せるのは経験しています。このような不思議なマナーが登場する根本にも、日本人の奥底にある感覚に起源があるのかもしれません。

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